中水道北尾・その他1 平成20年4月30日 所在地:鳥取市円護寺・東町
前回25日は水道谷の遺構を中心に歩きました。今日は水道谷とヨシ原谷の歩いていない部分を調べます。

今までA地点北側の尾根先端を見ていない事に気付いて、今日は真っ先に尾根先端を歩いた。残念ながら遺構はありませんでした。


図は、鳥取市の城郭研究家 吉田浅雄氏の「羽柴秀長陣縄張図(平成19年12月2日作成)」の部分を使用しています。

この図は、吉田氏が私にネット上で公開するようにと渡された物です。

縄張り図は、鳥取市のお城好き幸田屋様のサイト「鳥取市の城」に公開されています。
A地点から対岸のからづつみ西平坦地Bの先端郭を見る。日射しがちょうど良く、先端郭の削平状態がよく解る。

谷の底からこの郭までの高度差は10m程はあるだろう。写真右から左下方向に道がある。この道は江戸期の堤造成後の道だろうか。
上の写真の中央部を拡大する。

からづつみから離れた尾根先端の削平は、戦闘を考えての事であり、土取のためにここを削ることはありえない。

やはり、江戸期にからづつみ西平坦地の一部で土を採取したにしても、天正9年にはこの地点に谷を防御する郭が存在していたようだ。
C地点で川を渡り、下流に移動してひょうたん池の下にでる。

右がひょうたん池の堤。
同地点で下流側を見る。
同地点で北の谷を見る。

ここで谷に侵入しようかと思ったが、周りを良く見るとD地点で遊歩道の上に道があるのを発見する。
道を撮影。藪なのでよくわかりませんね。
道をたどると直ぐ先のE地点で斜面が崩落し、全くわからなくなっていました。

写真は崩落箇所の上側から下を撮影しました。画面中央の上側に道があります。斜面が大崩落しています。

この時は上方向ばかり探したのですが、後で考えると反対方向も調べるべきでした。

この道の考察は最後に書いています。
次に斜面を歩いて目的のF地点の遺構を調べます。

ここは以前の吉田浅雄氏の縄張り図では空白でした。昨年の「羽柴秀長陣所西山麓尾根上遺構」の発見後に吉田氏とお話ししていて、ここはどうなっているか尋ねられました。

「檜の植林地で、ひょうたん池から登ると平らな所もありますが、遺構なのか土取の跡なのかよくわかりません。何にしてもひょうたん池の直ぐ横なので、造成工事の影響を受けた可能性が高いです。」とお答えした。
その後、吉田氏はここを歩かれ縄張り図に書き込まれた。

お宅に伺うと、紙に右の絵を書かれた。左の部分より、右の低くなった所が平らなのが、とても重要なように言っておられた。

F地点は中水道北尾の陣所の背後を切りやすい場所で、下手をすると陣所が孤立するかも知れません。

秀吉勢が防御の空白を作る事はまず無いので、今後詳しく調べるべき場所です。
Fの斜面上の削平遺構。

これが縄張り図に記入された2つの郭のどちらなのかは不明です。
一応歩測したので書いておきます。
直ぐ近くには緩斜になった部分があります。

この後遊歩道に登り、Gの尾根を調べたのですが、コンパスを使わなかったので傾斜の緩い東方向に降りてしまいました。

この日は何も見つけられませんでしたが、後日この尾根の西側U地点に小さな郭を見つけました。見張り場と思われます。
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