中水道北尾・その他2 平成20年4月30日 所在地:鳥取市円護寺・東町
また遊歩道を中水道に向かいます。

以前「中水道北尾の陣所」(平成19年10月5日)で書いたのですが、H地点に溝のような物があります。

これは、私サイトのリンクを張っていただいている幸田屋様が「鳥取市の城」のブログにも書かれていました。
溝の一方は開口していて、反対は閉じたままです。
直ぐ近くに、もう一つ反対方向を向いたものがあります。
位置関係は図のとおりです。

丸い穴もあり、いつの時代の遺構なのかは不明です。
先に進み遊歩道のI地点から谷を見る。

真竹が右の斜面に密生しており、この谷への進入は躊躇させられる。実際進入してみると、イノシシのおかげで楽に歩けました。

谷が二つに分かれる地点で真ん中の尾根に乗り登ります。この尾根は大きな木が生えています。
尾根を登ると緩斜面になった部分があり、その先のJに郭がありました。
小さな郭なのですが、中水道北尾の陣所横の防御をするものと思われます。

ここに兵士がいないと、Kの土塁の中の武将は落ち着いて寝られません。

Kとの位置関係を調べるため周りを周回して調べました。

Kの郭は、縄張り図ではくの字に曲がって書かれていますが、吉田氏の元図では長方形です。少し修正してみました。
Jの郭には変な物があります。

倒木や樹木が邪魔して、全体の写真は撮影できませんが、鍵穴のような溝が掘られています。深さは70cm程か。

丸い部分の直径は1m以上ありますが、炭焼き窯ではありません。穴はトレンチ坑のようで両端は開口していません。
Jの郭の図説。

鍵穴状のトレンチはJに密接しています。ところがここから尾根に登るとPに穴がありました。
Pの穴。尾根の横端にあります。

両端は開いていません。これは人間が掘った物で、倒木や地滑り等で出来る地形ではありません。これらの穴は一体何なのでしょう。
次は次北尾根嵩みの陣所Lの尾根を下ってみました。何もありませんでした。

途中以前見つけた道に出会い谷に降りました。

谷底から、この春に見つけた三段郭Mに登ってみます。かなり急傾斜な尾根で、標高差は10m以上あります。春に雪の中で見た郭は、ウラジロが茂りとても小さく見えました。

M地点からN地点に登っても良かったのですが、藪が予想され大回りして遊歩道から下りました。

Nは谷なのですが、緩やかな地形で周囲は陣所に囲まれています。兵士の駐屯に使えそうでした。

もしかすると、Mの郭はNへの谷伝いの進入を防ぐ役目も兼ねていたのかも知れません。
本日のコース。

同じ場所をぐるぐる回っているだけで、無駄な歩きをしています。
今日見つけたDからEの道の考察です。
以前、中水道の水面近くを歩いた時に、端が水に没した道Sを見つけました。この道を辿ったのですがT地点で見失い、そこから直ぐ近くにRの道もありました。SRの道は繋がっていません。

Qの遊歩道は、江戸期ひょうたん池と中水道造成後の道で、それに繋がるRの道も江戸期の道ではないだろうか。

もちろん水面下に繋がる道Sは池が作られる前の道で、DからEの道はひょっとしてSに繋がっているのではないかと考えました。Dの南西の堀状の部分は凄い藪の場所があり、まだ点線の区間は歩いていません。
今後の調査が必要です。
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