羽柴秀長陣所西山麓遺構 平成20年10月27日 所在地:鳥取市円護寺
今年は春から初夏にかけて、水道谷や栗谷南嶺などの鳥取城包囲網を歩いた。

しかし、今年の夏の暑さは凄まじく、風のない里山の藪を歩いて倒れそうになってお休みし、夏が終わればついフラフラと大好きな高い山を歩いていました。

久しぶりに鳥取市円護寺の吉川経家公の墓所に駐車して包囲網を歩く。

円護寺の駐車場周辺は、外来種のセイタカアワダチソウで黄色く彩られていた。
縄張り図の右上が羽柴秀長陣所の大平です。

図は鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏が昨年書かれたもの。

昨年、私がC・D尾根の遺構を見つけ、吉田氏は縄張り図にその遺構を書き加えられました。

今日はCDの遺構の繋がりを見たくて来ました。
遊歩道から斜面を直登してC尾根の郭に登りました。遊歩道と郭の標高差は10m位でした。

Cの郭の様子。東端の尾根を直角に撮影した。下の図F地点

この郭はDの郭より藪がひどい。一応水平に削平されているが、写真では想像にお任せするしかない。
この郭は真っ平らではなく、E地点は明らかに窪んでいる。
同じ地点Fを東より撮影。真ん中が尾根筋です。

実はこの郭には一度しか来ていません。今日が2回目です。
縄張り図を拡大する。

CDの郭は標高差があるように書かれているが、実際は若干Dの方が高いくらい。

C・D間の距離は30〜40m程で、標高差は2m位だろうか。

この郭の間は藪で、場所によっては矢竹が密生している。

全く見通しが効かないのでコンパスで方角を確認した。
歩いて感じたように位置を修正してみた。

私は位置関係を調べるためにC・D間を1往復半歩きました。

郭間は単に道で繋がっているのではない。道の横には幅数メートルの郭がある。道の上側や下側に帯状に郭があるのだ。

しかし、D郭近くは矢竹の密生が激しく、僅かにイノシシの踏み跡を辿って歩くしかなかった。
やはりC郭とD郭は繋がっていた。Dが主の郭で、Cはその管理下だったのかも知れない。

この郭の間を調べるには矢竹を刈らなければならないだろう。私はなるべく樹木を切らない人間だが、ここは矢竹の密生がひどすぎる。普通の人は進入しない方が良いでしょう。特に矢竹や枝で目を突く事の無いよう注意して欲しい。

この後、からづつみ西平坦地Gの歩いていない部分を調べた。今日歩いてやっと全容が分かってきた。この砦は面積も広く構造も複雑だが、羽柴秀長の陣所南方を守る陣城を形成している。

今日は、西平坦地の矢印の辺りにイノシシが複数居て、「ブヒー」ガサガサと逃げて行った。川沿いの道や一段上の道は、かなり広範囲に掘り起こされている。

帰りには五反田平の陣所Hに寄り道しました。
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