B・D尾根その他2 平成19年11月23日 所在地:鳥取市円護寺・東町
B尾根の東にある削平地を見る。ここは約6mX9mで、少し菱形になっていて中に段があります。
春に見つけた道を再度確認。
道を下ってみます。
写真では判りにくいでしょうが、実際も判りにくいです。

写真左下から中央に道があります。真ん中の上は先ほど登ってきた尾根です。
道は尾根を通り過ぎ、少しずつ高度を下げながら西に進んでいます。
まさかここに出るとは考えませんでした。

右が遊歩道で左端の倒木の地点に出ました。場所は遊歩道の五反田平への近道地点です。

この日は時間が少し遅くなり、林の中は暗くて綺麗な写真が撮影できませんでした。これは一週間後に撮影したものです。
写真の中央に幅の狭い道があります。

道は遊歩道付近は幅が狭い。ここには何十回と来ているのに道があることに気が付きませんでした。
吉田浅雄氏の「天正鳥取陣営跡之図」で位置を説明します。

B尾根を@の先から登りました。途中のピンクの楕円は緩斜面の地点。小さい削平地も適当に書きました。

Hは先程の道の跡です。この道は何でしょう。

五反田平と秀長陣所を繋ぐ道の存在も考えられますが、当時の人間は脚力も強く、平気で尾根を直登します。決して水平移動距離が伸びるような道は好みません。
実は、この一週間後に吉田浅雄氏がこの尾根を調査し、五反田平の陣所と秀長陣所を繋ぐ道の跡を見つけたと言っておられました。私も以前この尾根を歩いていますが、ウラジロの繁ったところは道から僅かでもずれると踏み跡はなかなか確認できないのです。

Hの道の尾根の西側部分だけを考えると、五反田平とB尾根下の緩斜面との近道でもあり、後世その道に尾根東側の部分を追加したと考えれば中世の遺構の可能性もあります。しかし、今回は後世の林業の道としておく方が適切だと思います。
さて次は今年5月に見つけたD尾根上の遺構。

この遺構は横のC尾根の遺構と合わせて、吉田浅雄氏が「羽柴秀長陣所西山麓尾根上の遺構」又は「羽柴秀長陣所西麓尾根の陣所遺構」と名付けられました。

しかし長すぎて呼びづらいので「大平西山麓の陣所」と短縮しておきます。
この遺構の一番大平側には石がゴロゴロしています。

遺構の周りは藪が結構凄く、位置や連絡道などをまだ調べていませんし、上の尾根もまだ歩いたことがありません。

今日は大平に直登して調べます。
先程の石のすぐ上に取り付きましたが、これは急斜面で道でありません。

どうも下を削平したときに切岸を切ったようで、木を掴まないと登れません。
急斜面ですが少しマシになりました。
大平が近づいて明るくなってきましたが、ウラジロの下に痕跡でもあるのだろうか。
斜面を直登すると、大平から南に連続する小郭に直角にでました。これは吉田氏の縄張り図が正しかった。
図で歩いたコースを示します。Dから37番の羽柴秀長陣所(大平)に登りました。

これらの遺構には他の遺構との連絡道があったはずです。道を調べれば役割とか判るかも知れません。

そう言えばC尾根の遺構は一度しか行っていません。また調査しなければ。
本日二度目の大平です。
上に登ると偶然人が遺構を見に来ていました。気配を感じて瞬間的に大きな声で「こんにちは」と声をかけました。

それでも相手はビックリしていました。声をかけないで物音を聞けば、クマと勘違いされたかも知れません。
もう日没前ですが、もう一場所調べます。

中水道北尾の陣所の北西にある尾根2つです。ここは鳥取城と対峙する最前線。その北の尾根に兵士はいたのでしょうか。

そう言えばコンビニでおにぎりを買っていたのを忘れていました。I地点の郭に座り込んで腹ごしらえ。

早速尾根を降ります。最初急傾斜で下った尾根も途中に緩傾斜がありました。でも獣の踏み跡はあっても人間の加工や痕跡は見られませんでした。
尾根の途中にはイノシシが矢竹で巣を作っていました。
そして干しぶどうのような動物の糞も落ちていました。

初めて見る動物の糞なので木の枝で突いて中を調べます。中は繊維等はなく割と堅めのペースト状でパカッと割れます。

2週間ほど前に滋賀県で鹿の糞は見ていたのですが形が違います。しかしこのような糞は盲腸の発達した草食獣だと思います。
尾根を下まで降りたJ地点は真竹の林。もちろん手入れされていないので、踏み込むと積み重なった枯れた竹が「バキッ・ボキッ」状態。折れる度にバランスを崩しそうになるし竹林は危険です。

ほうほうの体で僅かに水の流れる谷を越え、K地点の東尾根に取り付きます。今度は矢竹が邪魔していましたが、密度は濃いわけでありません。すぐ激登りの杉林となります。日没で真っ暗になりLEDライトを取り出して登ります。こちらの尾根も緩傾斜の部分はありましたが獣道だけで人間の加工は見つかりませんでした。

尾根の途中に矢竹の藪があり、行く手を阻まれて降参状態。でも尾根の右に獣道を発見しそこをトレースしました。イノシシ様々です。頂上手前で月明かりに40番次北尾根嵩み陣所の尾根が浮かび上がっていました。こちらより急傾斜な尾根を見て「あそこは登りたくない」と思いました。

Lの直前で矢竹の繁る緩傾斜の部分があり方向が不明になりました。コンパスを取り出していい加減に歩くと上の郭に到着。予定ではこの後に久松山の地獄谷を直登するつもりだったのですが、空堀北端尾根で大分時間を浪費したため今日は諦めます。今日は標高差500m以上、距離6km強でした。地獄谷を登れば標高も距離も増えたのですが残念。

日没後の山で、動物の糞を弄っているのは私ぐらいだろうか?
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