次北尾根嵩み道・他 平成19年12月20日 所在地:鳥取市円護寺・東町
11月30日に、次北尾根嵩みの陣所の尾根を登って偶然に見つけた道。とても気になるのだが、12月に入って天気の悪い日が多く、用事もあったりして山を歩けない日が続いた。

今日は久しぶりに天気も良い。午後3時からの短時間だが山を歩く。ついでなので周辺の谷も調べてみる。

円護寺に駐車して5号歩道を歩く。五反田平の裏道の地点を過ぎて下の図A地点で谷に降りる。こちらは前回と違い谷に道の痕跡はない。

少し歩くと前回歩いた谷と合流する。
イノシシのヌタ場。
谷を降りてC地点で東の谷に入る。こちらの谷は水が流れている。
前回歩いた円護寺からの谷沿いの道はこの谷に繋がっている。道は流れの横についている。
しっかりした幅のある道だ。
しばらく登ると谷が2つに分かれる。写真中央は本谷、右側に枝谷がある。

下の図のD地点。
右の枝谷を見る。地形を見ると僅かだが恒常的に水が流れているようだ。しかし合流地点より下は水の量も多いが、二つに分かれると途端に少なくなる。
谷の分岐Dで両方の谷とも谷幅が非常に狭く、それまでのように流れの横に道がない。周辺を探しても道はなくルートを失った。

写真の傾斜のある東側斜面を良く見ると、踏み跡と言うほどではないが周りと違って地面が荒れている。この写真中央の斜面を登ってみた。
登ると道がありました。
道は水平に近い傾斜で続き、この後また谷と合流します。道は谷の狭い区間を高巻いていたのです。
図は吉田浅雄氏の「天正鳥取陣営跡之図」です。

道と谷が合流するとまた谷の分岐Eになります。

ここで再び道を見失いました。この辺になると谷の水は僅かです。

東の谷に入ると、すぐ左側に遊歩道が見えます。
写真は谷を分断する尾根です。登ってみるとなだらかな傾斜で遊歩道F地点に出合う。この尾根に道があったのでしょうか。
南東の谷を登ると盆地のような広い地形で、登り詰めると遊歩道の分岐Gにたどり着いた。
遊歩道を歩いて次北尾根嵩みの陣所に行く。垰の地点で前回見つけた道に入る。

道は垰にある小さな土塁と堀切の位置に繋がっています。この道は次北尾根嵩みの陣所にとって、単に防御力を弱めるだけの存在に思えます。

ついでの話ですが、この土塁と堀切は小さすぎて道の幅を狭める以外に役に立たないようです。それともここに柵でもあったのでしょうか。
道の始点H付近。

前回この先で棘が刺さり痛かったので、今日は剪定鋏を用意してきた。普段は樹木を切ることはないのだが、道を塞ぐ小枝くらいは切った方が良いだろう。

ちょきちょきと小枝を切っているとなかなか進めない。1cm以上の枝は鋸じゃないとかえって効率が悪いようだ。おかげで徐々に握力が弱まってくる。

よってI地点は道の藪を刈りました。丁寧には仕事をしておりません、ご容赦を。
小枝を切っていると10m程離れた地点から「カサガサバキバキ」と大きな音がした。瞬間イノシシだと判ったが、あちらの方が遠慮して逃げていった。でも見栄で「グヮ〜! オラッ〜!!」と怒鳴っておいた。

進むとイノシシが道を掘って寝ていたようだ。掘ると地熱で暖かいのだろうか?

無駄とは判ってますが「コラーッ 遺構を掘るな 壊すな!!」と言っておきました。
北側の斜面、下の図のJ地点に出ると道を塞ぐ藪はない。
前回見つけた石垣部分を見る。やはり人間が積み上げた石垣だ。
道は広くて1m、崩れて狭いと数十センチ程しかないが、迷いやすいところはない。写真は道の終点付近。

道は先程通った谷の分岐D地点に繋がっていた。
この道の目的は何か。私の推測では中水道北尾の陣所群全体の水の手の道だと思う。

ここは大きな流れではないが、安定して水を確保できる場所で、山の上との標高差が少ない。

ひょっとすると、緊急時に中水道北尾の陣所から逃げる別道の役割もあるのかも知れない。
今まで、羽柴秀長陣営の水の手は何処か判らなかった。しかし、今日谷を歩いて少し見えてきた。水の手は当然複数の場所を確保すべきで、からづつみにも降りて汲んでいたのだろう。しかしここは谷が別で、戦闘の状態により重要な「水の手」になると思われる。

この道のため次北尾根嵩みの陣所の防御力は墜ちる。当然敵に利用されれば不利となる。しかし水は何にも増して重要である。羽柴秀吉が鳥取城を包囲した天正9年(1581年)の7月12日とは、現在の暦では8月20日頃らしい。渇水の季節でもあり、まだ残暑の厳しい季節に大土木工事を行ったのである。一人当たりの水の消費量は相当な物だっただろう。当然僅かでも水の湧く地点は水を貯める升を作ったに違いない。

次北尾根嵩みの陣所の土塁は、遙かに離れた鳥取城に対峙するためでなく、この道に進入した敵兵からの防御を考えて築かれた物かも知れない。
今日一度登った谷を下り、図のC地点まで行く。写真は前回11月30日に撮影したC地点東の尾根。

歩いて解った事ですが、ここは五反田平の陣所と一番標高差の少ない水の手です。

また、ヨシ原谷に進入してきた敵を見張る重要な地点。ここは兵士が昼夜交代で見張りをしていた事でしょう。

今日の次の目的はこの尾根です。ここから遊歩道まで歩いて調べます。
尾根筋を少し登ると、削平された小さな新発見の郭がありました。目測で4〜5m×10m程。上の図のK辺りです。

この郭から尾根先端に兵士が降りていたのだろう。
尾根の断面図。

新しく見つけた郭の上側は、一段低くなっていて少し広さがあるようでした。加工を調べるべきでしたが、暗くなってきたので後日調査という事で帰りました。

今まで縄張り図に書かれていた郭は、新しい郭と遊歩道上の大きな郭との繋ぎの郭でした。

この尾根は、遊歩道から上は以前に歩いているので、尾根を下から上まで歩き通した事になります。
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