中尾根先端部 平成20年5月6日 所在地:鳥取市東町
午後5時前なのだが水道谷を歩いてみる。以前歩いた中尾根の道跡が気になったから。

いつものように円護寺の吉川経家公墓所に駐車し遊歩道を歩く。

図は吉田浅雄氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」に付属する「本陣及び付近遺構要図」の部分です。
前にABCの遺構を見つけたが、DEFの道跡がそれらを繋いでいた。
Eの辺りは一番深く窪み、Fは平らな道Dは踏み跡。問題はその道の先です。さてこの道はどこから来ているのか。
Eの地点で終わった道を探すために、尾根を南に越えてみた。
その先も緩斜面なので、大きく窪んでいるわけではないが跡をたどれる。

写真の中央が道跡らしき筋。上の図H.地点。
この尾根を越えて驚いた。不思議な物が目の前にあった。
6日は時間が遅く写真が撮れなかったので、5月21日に改めて撮影してきました。図のG地点。

私の勘では人間の道なのですが、獣道と言えばそうも見えます。
GHの間の地点。
尾根を越えると、そこは斜面を削って加工した跡のようだ。尾根を土塁のように削り残している。

下側は土塁状の高さが低い。
樹木が邪魔して良くわからないと思いますが、上の方は土塁状の高さが高い。

右側が大きく削られている部分。
一番上の方は切岸状になっている。
横から最上部を写した。これを見れば斜面がUの字形に窪んでいるのがわかると思う。

実はこの構造物は上の図の空堀と接していて、空堀の西側がこのように加工されているのだ。

昨年私も空堀を歩き、当然この地点を歩いている。その時は吉田氏の縄張り図を見ながら通過し、ほんの2m横を見ていなかったのだ。
簡単に全体の構造を描く。コンパスで土塁状Lの方位を測ると240度。磁北との偏差を修正して232.7度となる。

このUの字の中にも土塁状の部分があるようだ。

私にはこの構造物が良くわからない。地滑りで山の斜面が滑ったのだと言われればそうも思える。また加工途中で作業放棄したとのかも知れない。お城の専門家の調査を待つこととします。
Lの土塁状の物。これは竪堀とは角度が付いて分かれている。
遺構群の下には谷に近い場所に削平地がある。
ここも削平されている。
こちらも微妙に削平されたようだ。
Kの部分には岩場がある。
不思議な物を描き加えてみる。

全体を考えると、中尾根からの指揮命令系統が考えられる。
5月6日はその後Jの尾根を調べましたが、人間の加工はありませんでした。Iの尾根は以前調べましたが何もありませんでした。

その後、対岸の奥水道北尾の陣所西尾根を登りました。尾根筋に何もないので横に移動すると、M地点に小さな見張り場と思われる削平がありました。
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