西大手の段郭先端 |
平成20年5月21日 所在地:鳥取市東町・栗谷町 |
|
|
今日歩いたコース。
円護寺から遊歩道で水道谷に行くのですが、からづつみ西平坦地が気になり寄り道します。
A地点で堀切道を西平坦地へ下り、最先端の郭Bまで行ってみました。からづつみ西平坦地については、後日改めてレポートします。
その後、Cを経由して前回のレポートに書いたDの遺構を調べました。内容は「中尾根先端部」を参照して下さい。
図は吉田浅雄氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」に付属する「本陣及び付近遺構要図」の部分を使用。 |
|
D地点を上り下りした後、斜面をトラバースしてEで谷に降り、谷底の上側を調べて、さらに南側斜面に登り横にトラバースする。
ここは以前も歩いたのだが、急傾斜な北斜面に比べ南斜面には緩傾斜な所があり、兵士が待機出来そうだ。
F地点に少し削平されたような場所があった。明確な加工とは言い難いので、自然地形なのかも知れないが、見張り場としては適切な位置だ。 |
|
|
|
さらに斜面を横移動して、今日調べたかったG尾根に乗る。やはり削平地がありました。但し削平はとても甘い。しかし、ここは明確に郭として使われた地点だ。 |
|
そこから直ぐ西の谷に降り、Gとの位置関係を調べるため、春に見たHの郭に行く。
4月1日に比べて新緑が美しい。しかし広い。 |
|
|
|
また元に戻り、先程の尾根を下から登ってみる。
Gの上に、更に大きな郭Iがありました。傾斜がついており削平はとても甘い。これで郭かと言われればそれまでですが、この郭の上側は切岸が切ってあり上は空堀です。 |
|
Iの郭には変な物がありました。野球のグローブです。最初1個見つけ、その数メートル先に4個も捨ててありました。かなり古い物のようですが、加工のせいで腐敗しにくいのか原型をとどめています。
誰がこんな所に捨てたのでしょう?
5個となるとデイパックに入りそうにありません。放っておきました。 |
|
|
|
横移動して、切岸の緩やかな地点で空堀に上がります。昨年、空堀を歩いた時通過した地点です。そのまま南の尾根道に進みます。 |
|
2本の空堀を見て尾根道Jを歩いていると、若葉の間から下に削平地らしき物が見えました。
早速降りてみるとKに幅の広い削平地があります。 |
|
|
|
空堀を掘った土を横に積み上げて土塁としているのですが、それに接して丁寧に削平されています。写真はK地点。
残念ながら藪が凄く、広いのに見た目がさっぱりです。
藪の中を歩測で測ると南北幅18m程有ります。長さを測ろうと西に進みますが、幅は狭くなりながらも60歩歩いても終わりません。
この時は、長さを正確に測れないので35m程とするかと考えました。 |
|
Jの土塁状の尾根道。両側が一段低くなっていて、幅の狭い道だけが高い。
尾根道を西に進むと、尾根に小さな一郭があります。そこから南を見ると一段下に郭がある様子。 |
|
|
|
Lの郭を南から撮影。尾根道は中央奥にあります。南北長は約18m。
左の西側が少し傾斜しているが、ここも丁寧に削平されている。先程のK郭との関係を調べると、段差はなく繋がった郭のようだ。
考えるとJの土塁状の尾根道は、本当はKとL郭の北の備えの土塁だったのかも知れない。 |
|
吉田浅雄氏は、空堀を毛利との最終決戦に備えたものとした。しかし考えると、空堀の内側で兵士が待機するのではなく、その前に郭を置くのが戦の条件だと思う。中尾根も西大手も、空堀の直ぐ外側の郭は大きいようだ。
尾根の道を下るとM地点までに道の屈曲した場所がある。これも敵兵の進撃を留める工作だろうか。
この後道を下り、ひょうたん池の下からN経由で中水道に沈む道を調べて帰りました。 |
|
|