水道谷と栗谷北斜面2 平成20年5月23日 所在地:鳥取市東町・栗谷町
東に戻り、遊歩道を南の栗谷に進む。

遊歩道が大きく曲がった地点で、下の図Qを目指し尾根に登る。
尾根はウラジロの密生で足が地面に着かない。足元がフラフラする。

ここにも遺構があったのだろうが、ウラジロのために地表の状態がわからない。

この藪に突入したが、顔や頭に枝が刺さる。3回目に枝が頭に刺さると、歩く意欲が無くなってしまい撤退することにした。

激しい藪で、歩いても何も見つけられず意味がない。
尾根の中心を避け、藪の薄い南側を移動する。斜面を下り南の遊歩道に飛び降りるつもりでいた。

遊歩道の段差が少ない地点で降りようと移動していると、東に写真の地形Rが見えた。斜面をトラバースして近づく。

削平地のように見えるが、実際は傾斜尾根だ。角度と位置関係で水平に見えたのだった。
R尾根の傾斜は強いが、見張り場として使われたようで、登ると上側のN尾根に通じている。

この尾根から東を見ると、同じような尾根が見えた。斜面を横移動してその尾根Sの途中に乗る。
図は鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」の部分です。

ピンクが歩いたコース。
尾根を上まで登ると上の郭N近くのTでは尾根が窪んでいた。

手前の枝が邪魔してわかりにくいが、尾根の中央が窪んだ道になっている。

この道を辿って下に降りてみる。見張り場らしい傾斜尾根Sの下端に出た。
ふと東横の谷を見ると平らな場所がある。降りてみると道の跡Uだ。

この辺は特に良く残っている。こうして丁寧に道を造る目的を知りたくて更に進む。
東横の尾根に乗る。

先程の尾根は傾斜していても横幅を広げる加工がしてあったが、ここは全く無加工の傾斜尾根だった。
そのまま降りると、突然削平地Vが現れる。

歩測すると長さ21m、幅は広い根元で11m、先端に近い所でも10mの釣り鐘形の郭だ。丁寧に完全削平されていて保存状態も良い。

先程の道は、この郭の加工と駐屯のために作られた道だった。Nの郭がここの指揮をしていたのだろう。
樹木の薄い部分を撮影。

郭には石が散在している。広葉樹林では腐葉土が厚く堆積して地表が凸凹になる。しかし、ここは針葉樹林なので、腐葉土層による起伏が少ないのだろうか。

この郭は、先日見つけた尾根上の郭Yの下に位置する。しかしYVの間の斜面はとても急なので移動できたか不明です。
Wの道分岐。「4号歩道 栗谷町660m」と書いてある。

吉田氏の図の道は実際とはずれている。この標識の直ぐ上流側に谷があり、その東が先程の郭Vのある尾根だ。
栗谷の道を登る。途中Xの尾根を少し上まで登ってみたが、急傾斜で岩場もあり危険だ。Xの東に窪んだ堀状の物がある。最初堀だと思ったが、直ぐ東に平行に同じような物Zがある。後で判ったのだが、これが昔の百谷道のようだ。青線は現在の遊歩道で、この道は百谷道を破壊しないよう避けて工事されている。

A1B1C1D1の各尾根には郭がある。記入された郭以外にも遺構が散在している。ここは、遊歩道から見える場所が多いのであえて記入しない。私が知りたいのは、A1B1C1D1の各尾根をどこが指揮していたかと言う事だ。
A1尾根の遊歩道。百谷道方向から撮影。
これはC1尾根の郭だったと思う。写真を撮りすぎて混乱しています。

郭の横を巻いた道は、細長い郭の上を通っている。

百谷道を守る事に主眼をおいて、郭遺構を破壊する事に気付かなかったのか。

郭の裾に道を通せば、十分道を造ることが出来たとおもう。
百谷道の石畳。雨水が石畳の両側を浸食して深い溝になっている。この石畳はいつの工事なのだろう。

この後、太閤ヶ平手前の大休まで歩き、引き返しました。
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