水道谷調査1 平成20年4月25日 所在地:鳥取市円護寺・東町
羽柴秀吉の鳥取城包囲網を歩くため、鳥取市円護寺の吉川経家公墓所に駐車しました。

遊歩道を歩いていると、杉林に木漏れ日が見えた。スポットライトのように照らされた所は、昔の道跡のようだ。しっかり道筋に日が当たっている。
以前、この小さな郭を調べたのですが、道の跡には気が付きませんでした。

早速降りて道跡をたどると、2つの郭の間を通っており、前後はやはり不明確になっていました。また何時か調べます。

図は鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」を拡大したものです。
尾根にある郭A地点。

前は、ここから尾根を降りたが下に郭は無かった。
その横の郭。

五反田平の陣所北側の斜面は急傾斜で、これ以外の遺構は見あたらない。見張り場だと思う。
今日のコース前半。

図は吉田浅雄氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」に付属する「本陣及び付近遺構要図」の部分です。

色々な場所を調べるため、上がったり下りたりしています。
4月6日に発見したBから下のからづつみに降りる道は、斜面を深く堀切った道だ。先日、この道の上側に同じように掘られた道があることに気が付いた。
赤線の直ぐ上に、ピンクの堀が平行に掘られている。堀は長さは29m程で、上から19m程の所で倒木か何かによると思われる地表の錯乱を受けている.。その先にまた10m程続く。

郭の防御機能を高めるための堀だろう。

Bの郭は長さ10m幅7m程で、郭の直ぐ横も長さ7m程だが緑線のように浅く削られている。
からづつみに降りて、4月20日に歩いた道を確認する。

道は崩落して幅の狭い所もあるが、明らかに山の斜面を削って作ったものだ。
道の跡は堤の上を通り、堤右端の高さの差は僅かだ。

しかしこの道は、江戸期からづつみ造成時に作られた上流への道と違い、堤を意識して作られていないようだ。からづつみ造成以前から有ったものかもしれない。

この後確認したのだが、道の端は空堀の端から始まり、反対はひょうたん池の中央の尾根に通じている。
道を下流側に進み、4月20日にからづつみ下流で見つけた緩斜面Dの遺構を見に行く。詳しくは前回「秀長陣所と中尾根西」を参照して下さい。

下の郭から尾根の写真を撮るが、樹木が邪魔して撮れません。中央上に少し黒く見えるのが尾根です。尾根はとても高いし急傾斜だ。
入口から緩斜面方向を見る。。
入口から20mは傾斜が少し急で、その上は緩斜面になっている。写真下3分の一の所で傾斜が変わっている。
D地点。5日前に来たときに比べ新緑がまぶしい。
横の尾根を見る。この尾根も削られているのだろうか。
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