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岩美町荒金 行者山(ぎょうじゃさん)2 平成26年10月25日 所在地:鳥取県岩美郡岩美町荒金  HPアップ 平成27年2月5日
 登山口から標高130m登ると、行者堂から八丁目に着く。
 ここの丁石は大きく壊れている。


八丁目のすぐ先に削平された場所がある。ここが尾根最大の平地。

最大と言っても、やせ尾根なので 10mX15m程と広くはない。行者山が栄えていた頃は、ここに何か建物があったのだろう。

しかし何か変だ。道は手前から左端を通って奥に続くが、ここは写真中央が窪んでいる。

左の道と比べると、中央は目測で1mは窪んでいそう。井戸の跡ではないようだし、この窪みは何なのだろう。
南側には、土塁の跡なのか端に盛り上がりがある。
 山上側からパノラマで撮影。中央が大きく窪んでいる。
 ここをどの様に利用していたか、全く見当が付かない。

 その先は尾根が急に狭まっている。



狭まった尾根の先は岩尾根があり、銚子口の看板があった。
左の白い木の根の上を歩いて右に上がるが、左が斜面なので気を付ける。
銚子口。
下側が傾斜が強く、上側は少し緩やかになっている。
行者山を検索すると銚子口の事が出てくるが、どんな場所か想像出来なかった。
傾斜のある狭い岩尾根の真ん中が、人一人通れる溝になっている。
逆のナイフエッジだと怖いが、真ん中が窪んでいるので安心。 上から銚子口を見る。
後で考えたが、ここは人が岩尾根に溝を掘ったのかも知れない。
 銚子口の上には猫の額ほどの平場があり、七丁の丁石が転がっている。

 この丁石は破損は少ないが顔は摩耗している。裏を見たが何も書いてなかった。
七丁目の先は、道が山の横斜面をトラバースする。
右が急斜面で、ついロープに手が伸びる。
ここに道を作らず、七丁目から尾根をジグザグに登る道を作れると思うのだが。
写真ではわからないが、少し急な登りだ。
 位置関係がわかりにくいので作図しました。

 七丁目から、山の横斜面を通り上の尾根に上がる。
 尾根に上がり左を見れば、人の手が入った平地がある。

 左側が段状に一段高く右が低い。写真を見ると左奥に
 向けて踏み跡がある。ここを通る人はいないので鹿の
 歩いた跡だろうか。

 奥には炭焼きの跡か丸い窪みが2個ある。
 起伏がありすぎて訳がわからない。
 八丁目から上を歩測。

 傾斜もあり正確では
 ありません。
上の平の端に土塁のような起伏がある。 平場を離れ尾根を進むと、道が尾根横を下ります。何だろうと見ると堀が切ってあり、土橋がありました。見た瞬間? ここは宗教施設でお城じゃ無いのに? それも上から来る敵に備えた造りです。
堀切土橋を上側から見ました。

こちらから敵が攻めても、中央上の台の人が槍でチョンチョンとすると、道を通る人は身を守るすべも無く不利になる。弓矢でも台地の上が有利になります。

でも鉄砲は離れて撃てるので、これ位の堀切土橋では役に立ちません。台上の人が弓矢で、その射程外の位置から鉄砲10丁で撃てば皆死にます。

羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の鳥取城攻めの時、蒲生峠の牛ヶ峰神社や岩美町の金峯山と行者山を焼いたと言われていますが、実際ここを攻めたのは、但馬にいた弟の羽柴秀長で、この堀切土橋もそれに備えて作られた物かも知れない。
登山道の地図です。

尾根は八丁目で曲がっています。行者堂は、山頂近くではなく中腹にありました。

登山口から行者堂まで、距離は1km、標高差270m程か。

GPSを持っていないので、軌跡は勘で書いています。
堀切の先の快適な尾根道。

尾根を歩いていると左から水音がします。
山の尾根で水の音が聞こえるのは珍しい。
左を見ると標高差10m弱で谷が直ぐ横にあります。写真を撮ると、ピンぼけですが水の流れが写っていました。尾根の近くに水の手があれば生活はしやすい。

登山口から尾根を登り、離れたはずの谷とここで標高差がなくなっていました。
先程の堀切土橋が上からの攻撃に備えているのは、谷伝いに登ってきた敵を想定してかも知れません。
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