樗谷北斜面 平成21年3月16日 所在地:鳥取市上町
 樗谷北斜面A道
 樗谷北斜面C道
 樗谷北斜面B道
 樗谷北斜面D道
 樗谷北斜面E道
 樗谷北斜面F道
 樗谷北斜面G道
 大宮池北尾根曲輪
 栗谷南嶺比丘尼ヶ平
天正9年(1581年)羽柴秀吉は鳥取城を包囲しました。包囲は秀吉の陣所本陣山から北西の鳥取市浜坂までの尾根筋に右翼陣。本陣山から南西の栗谷南嶺尾根筋の左翼陣。右翼と左翼を結ぶ平野部の陣。そして本陣山の北西に、右翼陣の大将として秀吉の弟羽柴秀長が鳥取城の喉首を押さえる陣張りです。

左翼陣の栗谷南嶺は栗谷と樗谷の間の尾根で、正式名称がないのでこの仮称で呼びます。もちろん樗谷北尾根でも構わない訳で、今回は片斜面なので樗谷北斜面と呼びます。

昔この谷には、王寺という寺と大日村という集落がありました。集落は藩政期に山を越えた小西谷(こざい)に移転したようです。そして樗谷公園の北斜面には複数の道があります。

この樗谷北斜面は天正9年の道だけでなく、それ以前の道や因幡東照宮(樗谷神社)の作られた江戸期の道の跡も残るものと考えられます。
私は平成20年6月から平成21年3月にかけて、鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏の書かれた「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」を片手に栗谷南嶺を歩きました。

その時歩いた道についてここに書きます。図は歩いて分かった道の関係です。

オレンジ色の線が基幹道で割合明確なもの、ピンク色はそれに準じてわかりやすい道、青線は不明瞭な道です。

緑色の線は現在の舗装された遊歩道です。

※注意
私は調査のために歩きましたが、これらの道は一般の人が安全に通れる道ではありません。歩かれる場合は自己責任で、決して無理をしないで下さい。
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