久松山の防空監視所  久松山 所在地:鳥取県鳥取市東町
 2006/04/23
追記
  ミツバツツジ見物と兼ねて、久松山の防空監視所の痕跡を見てきました。第二次世界大戦中、久松山に監視所が置かれていたのは以前から知っていたのですが、それが具体的にどの様な物か知りませんでした。先日、ある方からその残骸が残っている事を教わり、見に来たのです。

今まで数えきれないほど登ったのですが、その様な物に気付きませんでした。天守台に立ち周りを見回すと、目の前にコンクリートの残骸が有りました。1.5m四方のピラミッド型をした屋根と、非常に厚いコンクリートの基礎らしい物も有りました。

お聞きした限りでは、元有った場所から落としたのだそうです。天守台に有ったのか、それとも天守台から北に張り出した御旗櫓の跡に有ったのでしょう。図では御旗櫓の跡に作図しましたが、本当のところは建築当時の事をご存じの方にお伺いするしかないでしょう。

しかしこの御旗櫓の跡自体が、私には良く理解できません。天守台の横に、ほぼ同じ高さで櫓を組むことがあるのでしょうか。ロープウェイの工事で街灯も設置されていますし、監視所建設時に何か改変したのかもしれません。よく考えてみると、天守台自体が台形なのも更に不思議です。鳥取震災の時石垣が崩れて変形したのでしょうか。天守は長方形か正方形しか考えられず、台形に建物を造ることはあり得ないでしょう。

天守台に残る石の列も不思議です。礎石と考えられない石列があります。以前の石垣の痕跡でしょうか、どれが元なのか良く判らない構造です。山上ノ丸も、歴史の中で多くの改変を受けてきた所で、過去を簡単に遡れないのですが、残された痕跡で推察するしかないのでしょう。

久松山に良く登ったつもりでも、全く何も見ていなかった事に気付きました。
 この後暗闇の中、天守北の曲輪を徘徊しました。大きな岩もあり、山上ノ丸の石切場だったのかも知れません。
基礎の部分か?
左の物を横から見た
ピラミッド型の屋根
穴蔵跡に有る基礎は監視所施設か?
左の石垣列は右が外側
左の石垣列は左が外側です
ミツバツツジ 蕾もありました 
監視所想像位置?
 
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