高平(隆平)城福井尾根 平成21年5月31日 所在地:鳥取県八頭郡八頭町日下部・福井
 高平(隆平)城福井尾根1
 高平(隆平)城福井尾根2
 高平(隆平)城福井尾根3
 高平(隆平)城福井尾根4
 高平城山頂・東尾根曲輪1
 高平城山頂・東尾根曲輪2
以前から気になっていた高平城の福井尾根を歩いてきました。この尾根は、近年行われた地積調査のため樹木も丁寧に払われていて、倒木等はあるものの楽に歩けます。先端近くから遺構があり、尾根の長さは900m近く解説も長くなりました。

今回の尾根は『鳥取県中世城館分布調査報告書第1集(因幡編)』にも収録されていて、B点は福井小袋谷ホフキ所在城として、また高平城Gは天神山城として記載されている。ところが船岡町誌によると実際の天神山城はW地点にあり、中世城館分布調査報告書の間違いと思われる。

また福井小袋谷ホフキ所在城Bを福井集落の古城と考えても、高平城との間に未記入の尾根最大の郭Dがあり、郭群は高平城の連続した一支尾根遺構と考える方が正しいだろう。
歩いた後でこの尾根の遺構を記した鳥取県八頭町遺跡分布地図2(旧船岡町)の存在を知った.。しかし、先の郭Dは遺跡分布地図2にも記入されていない。調査の原本に描かれているのだろうか。

旧船岡町に関しては、町史編纂のため遺構の調査が進んでいたようで、それに対して旧八東町は調査が遅れており地図は空白となっている。さらに言えば郡家町・船岡町・八東町が合併した八頭町では、遺構調査はこれからも行われる可能性が無く、空白のままとなるらしい。

旧船岡町と旧八東町の境界にある尾根の下部の郭X・Yは縄張り図の存在を知らない。上記理由により描かれることはないだろう。この郭については前回「八頭町の城」に山を横から見た写真を載せている。またV点は中世城館分布調査報告書に水槻中平ヶ谷所在城として描かれている。歩いてわかったのだが西側の山体にも他に遺構がありそうである。見槻中は船岡の伊田氏の所領という文書を見たこともあるが境界がわからない。
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