八頭町の城
  高平(隆平)城 平成21年5月11日 所在地:鳥取県八頭郡八頭町日下部・福井 城主:波多野隆平
若桜町に山菜採りに行くのですが、天気も良いので高平城の様子を見に寄り道します。
対岸の郡家殿の八東川土手より撮影。

新緑の頃は植生の違いが良くわかり、山歩きの参考になるからだ。
写真は曲輪の位置が良くわかる。しかし、一番左下の斜面はすごい急傾斜です。

高平城の縄張り図には、主郭A曲輪Bは描かれているが、それより下は書かれていない。

詳しい縄張り図がないのか、八頭町教育委員会に問い合わせたが、遺構があることは知っていても調査していないそうだ。

この尾根は、市町村合併前の八東町と船岡町の境界で、高平城は旧両町村にまたがっていた。
教育委員会の担当者は、高平城は「永久的に調査されることはないでしょう。」とも言われた。

田舎は人口も少なく、広い面積に少ない予算で、縄文・弥生から江戸・明治まで色んな遺跡があれば、開発による破壊を前提とした時だけ調査をするのだそうだ。

今から9年程前に道路から曲輪DCBと経て主郭Aに登った。その時曲輪の長さなどを簡単にメモしたが、それが何処にしまったか見つからない。そのうち出てくるだろう。

さて、以前から気になっていたのが、主郭から北北西の福井集落に伸びる尾根。この尾根に何か遺構が残っていないだろうか。そう考えたのだ。
上の図E地点。

昨年福井の周辺で駐車スペースを探したが、昔の農村の常で集落内は道がとても狭く、軽トラックより大きな車はむやみに進入しない方が良い。

村人に聞けばバス停に置きなさいと言われた。路線バスが廃止になったので大丈夫なのだそうだ。

尾根を歩きたくてまた下見に来ました。
  半柵城 平成21年5月10日 所在地:鳥取県八頭郡八頭町水口 城主:伊田氏
八頭町安井宿より見た半柵城(はんざこじょう)。

遠くから見てもわかる特異な形状。麓の水口からの標高差は450mある。

中書家久公御上京日記に「半廻の城とて有」とあるのはこの城のことだろう。

この山は鳥取市から郡家に入る堀越の坂や、八頭町池田から鳥取市越路に抜ける県道293号の中山展望台からも望める。
半柵城の大手がわからず、1回目は遮二無二小尾根を直登するが余りの急傾斜に敗退。後日、別の谷から登ったが急傾斜で断念。隣の尾根に移ろうにも、その間の谷がトラバースできない傾斜でした。3回目は少し傾斜が緩い場所を見つけて稜線に出たが、疲労困憊で半柵まで行く気力もなく帰る。4回目にしてやっと半柵城にたどり着いた。

右肩遺構の右側(北側)は、尾根が細く人一人しか歩けない区間がある。尾根の両側の斜面はとても切り立った急斜面(40度近い)だ。

以前持っていた資料には中央のドーム部分の遺構が描かれていなかった。そのためやっとたどり着いた時、右肩の遺構だけを見てドーム部分を見ていない。実際はドームの左下まで堀切られていて、さらにこの奥にも後ろを守る鉢伏城があるそうだ。天然の要害ではあるが、伊田氏は余程山奥が好きな人だったらしい。

また行ってみたいが、9年前に比べ体力の落ちた私が歩く日が来るのだろうか。それに、人に聞いてもいまだに大手がわからない。何処かに道が隠されているのだろう。麓の水口から尾根伝いに2.2km歩く方が急傾斜もなく楽かも知れない。 ※写真は2004年6月16日撮影。
  鷹山城 平成21年5月10日 所在地:鳥取県八頭郡八頭町北山 城主:丹比孫之丞
北山の集落から鷹山城を望む。

この城の大手はこの案内板の左の道です。道を奥に進み右の尾根に道がある。しかし、この大手道を登ると最後が急傾斜で危なくなる。

大手道は登らないことをお勧めします。
城を正面から見る。先程の大手は写真の左端にある。

登山道はこの道の突き当たりすぐ右にある舗装された急な道を登り、左に温室がある地点で反対の右側の林に進入する。尾根に登る道が隠されている。

右の尾根に登って本丸を目指すのだが、途中もわかりにくいのであまりお勧め出来ない。
鷹山城の南にある一つ山。
一つ山を北側から見る。

墓地として利用されているが、しっかり曲輪になっている。
鷹山城の南西尾根。本丸直前は急斜面なのだが、その下の緩斜面がこの尾根の弱点。
2000年5月28日、この尾根を西端から歩いた。
その時のメモが出てきた。
鷹山城でなく丹比城と書いてあるのは漢字が出てこなかったから。

急傾斜尾根にニリンソウと書いてますがギンリョウソウの間違い。植物の勉強をしていなかったので名前が出てこなかったのです。ギンリョウソウとは葉っぱのない腐生植物で、目玉親父のような花が付きます。

忘れてしまうからメモしたので縄張り図を書こうとは考えてません。だから左下部分は曲輪の長さも書いていない。比高も適当なので参考にはなりません。

メモを元に図を描きました。主郭手前の急傾斜尾根が短いです。実際は写真で見るとおりもっと標高差があります。
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