天神山城考

鳥取市布勢にある布施天神山城と言えば、小泉友賢の因幡民談布施城図を思い浮かべる人が多いと思います。私も大雲院本の布施城図を見てきた一人です。しかし、あの絵図からは布施屋形と呼ばれた具体的な城が見えてこないのではないでしょうか。

2003年の夏、私は人からある文献を頂きその疑問が少し解けました。その文献は「鳥取大学教育学部研究報告 第30巻 第2号 鳥取市山王社宝篋印塔とそれを載せる絵図について 小谷仲男」と言う文献です。内容を書けば長くなるのですが、宝篋印塔を載せる絵図を解析し絵図のルーツを探る。さらにその絵を載せた10種の因幡民談記の写本関係等を解析するという物です。

その文献の中に布施天神山城の少し具体的な絵が載っていました。絵のもとは、鳥取県立博物館蔵の「大幅絵図」らしいです。絵に描かれた道や水路は、今残るものと整合性があります。やっと私にも理解できる城図に出会えたのです。喜んだ私は、その時地図に堀の位置を記入した図を作成しました。

ところが最近は便利になり、国土交通省のカラー空中写真という物があります。それも周辺の住宅化が進む前の昭和49年の写真です。これを見れば一目瞭然、堀の位置がかなりの部分わかります。と言うことでカラー空中写真を参考にして布施天神山城の堀を復元してみました。天神山東の現緑風高校の部分は、すでに整地されており類推しました。以前内堀の幅は5m位と聞いたことがありますが、写真を見ると外堀の卯山南西部は、それより幅が広いようです。

 布施天神山城堀想像図
 
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