鳥取の中世の城5
船岡町と河原町の史跡
船岡半柵城(はんざこじょう)
船岡町にある伊田氏の居城半柵城を長品より望む
この城は尾根の上にあり両側の谷が非常に急傾斜で
特に大江側は普通に登れないところが多い 何回も
挑戦してやっとたどり着いた 遺構は見た目は少ない
ようだが尾根のすぐ上に自然の要塞といえる丸い山が
ある この山と削平地で強固な城郭を形成していている
この場所の選定は丸い山のためといえる
船岡町より丸瀬山と半柵城を望む
半柵城の付け城丸瀬山と半柵城を望む
丸瀬山は前衛砦でありその詰めとして半柵城がある
半柵城の主要部は右の尾根の奥にありここからは
望めない
河原町佐貫にある大義寺の
武田高信の墓
鳥取を騒がせた武田高信 本当は主家因幡山名を滅ぼした但馬山名
に反逆し筆頭家老が独立しようとしただけかも 織田信長しかりそれを
乗っ取った豊臣秀吉また徳川家康も 武士の忠誠心なんて江戸時代
に作られた虚像 下克上というより生き残りだけだったのでしょう
一時は因幡の実権を握った高信ですが そのあと山名豊国と結託した
山中鹿之助に追われ 最後は山名豊国の謀略によりこの大義寺で
殺された
ホームに戻る
歴史トップに戻る