五反田平の陣所・中水道の砦 平成19年2月25日 所在地:鳥取市円護寺・東町 久松山
南坂道を歩きたくて来ました。今までは遊歩道経由で南坂道を登っていましたが、3度目となると遊歩道に飽きてしまいました。もちろん久松山の反対側、長田神社から南坂道を登るのが一番近道ですが、運動不足解消にはなりません。

今日はついでに五反田平の陣所を登り、寺屋敷周辺を散策して南坂道を歩きたいと思います。五反田平の陣所とは、天正9年(1581年)の羽柴秀吉による鳥取城包囲の時築かれた砦で、秀吉陣に属します。

円護寺の経家公の墓所に車を置き、葭原神社前を通り過ぎて、奥の給水タンク先に進む。
給水タンクの奥に堰堤があり、手前の広場左の道を通り堰堤に上がる。
堰堤上に尾根に取り付く道がありました。
尾根は、結構藪になっていて歩きやすいとは言えないが、ジャングルでないだけましかも。
しばらく進むと尾根が水平になっていた。幅は余りなく、削平地っぽいとも言えるが自然地形と判定する。
陣所手前に岩があった。
五反田平の陣所。奥に見えるのは土塁。
陣所から東下の曲輪に降りる道。このまま東に山を下りる。
東の遊歩道方向の斜面を見下ろす。以前来たときより踏み跡がはっきりしているようだ。
標高差は余りないのですぐ遊歩道に出る。

五反田平の陣所に登るには、葭原神社裏から登る方法もあるが、頂上手前が急傾斜でこのルートが楽だった。もちろん遊歩道から逆に登れば直ぐです。

遊歩道を歩き、十神林道終点で寺屋敷に下ります。
先日寺屋敷を散策しましたが、今日も削平地を上り下りして調査しました。(本当は単に歩いただけ)

そして寺屋敷東側の谷を下ると堀切に出ました。そのまま東に進むと中水道を経て奥水道へ行く道でした。この道は歩いたことがないので探索。
奥水道下の橋。
近くに炭焼きの跡がありました。
引き返して中水道西の遺構を見ます。何枚も写したのですが、藪も凄く良い写真が撮影できませんでした。

右は曲輪の中の段に貼り付けてある石垣状の部分です。曲輪は結構広いです。

吉田浅雄氏によれば、「この遺構は池田長吉が要害として築造したものであろう」と鳥府誌に書かれているそうです。
中水道に接して巨大な堀切がありました。久しぶりにみる大きさ。八頭町丹比の鷹山城尾根の堀切はこれより大分小さいです。
吉田浅雄氏の「因幡鳥取城跡要図」を簡略化した図を作りました。

寺屋敷東側の遺構は、秀吉軍か長吉の遺構とも考えられ、又はそれぞれの改変を受けているのかも知れません。A点が上の大堀切です。
中水道。結構大きいです。鳥取の人でここに池があることを知らない人は多いでしょう。

この後、寺坂道を下り南坂で久松山に登り、東坂で下りました。
本日のコース  別ウインドウで開きます。
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