椿谷から秀長陣へ 平成19年4月21日 所在地:鳥取市円護寺
羽柴秀吉が鳥取城を包囲したとき、多くの砦や防御遺構を築いた。その中に太閤ヶ平の南西に南北に700m続く空堀がある。昨年ある方にお会いしたとき「歩いてみなさい」と言われた。この大きな空堀を見ないで、秀吉を語るのは無意味だと言うことらしい。

一日かければ十分歩けるのだろうが、私は近頃色々な事情で長時間の外出が出来ない。少しずつ分割して歩くことにする。

何時ものように経家公の墓所駐車場に車を置き遊歩道を歩く。
5号歩道と椿谷の分岐。私は椿谷を歩いたことがない。だからではないが今日は椿谷に向かう。

空堀の北端は羽柴秀長の陣所の北西から始まる。陣所には何度か行ったことがあり、ちょっと近道をしたいし、帰りは遊歩道を歩くので、行きは別コースを歩きたい。どんな地形かも知りたかったし、見たことのない場所は面白い。
椿谷を歩くと僅かな水の流れる谷に出合う。2番目の谷に入り、すぐ右の尾根に取り付く。
尾根は荒れています。
少し藪っぽいようです。人の通った痕跡がほとんど無いので楽しい。
植林地に僅か平地がある。人間の加工かよく判らない。傾斜しているが少人数の駐屯は出来そうだ。
ちょっと上に小さなドーム状の地形がある。古墳かと思ったがそうでもないようだ。日没でもないのに葉が茂って真っ暗だ。枝を通り抜けるのが少し大変だがひどい方ではない。

ドームの下は尾根も狭く急傾斜だ、少人数でも長い槍さえ持てば、登ってくる兵を順番に突くことが出来そうです。
それを越えて進むと目の前に藪が繁っていました。通り抜けるのに少し苦労する。
秀長の陣所に近づいてきましたが空堀に出会えません。
実は尾根の取り付き点は、地図で空堀の尾根を目指していました。しかし椿谷の遊歩道を先まで進んで、正確な尾根の同定はしていません。

おかしいと思い、左に十数メートル移動すると空堀がありました。地図には載っていませんが尾根は2つの小尾根に分かれていて、その西側の尾根に乗ったようです。
空堀を降りてみます。下に削平地があります。
削平地の先にはコブのような尾根があります。
コブの先に進むと岩っぽい棚に降ります。この左が尾根の下方向ですが、覗くと凄い傾斜の斜面。落差もしっかりあります。空堀はむやみやたらに掘ったのではなく、この天然の要害に繋げていました。

羽柴秀長は鳥取に来るまでに多くの戦を経験してきました。彼の配下には優れた人材が集まっていたことでしょう。この地形の選定を見て秀長軍の緻密さが見えてきたようです。
上の岩場右側。急斜面の下から、こちらに迂回路があるようですが、それでも急傾斜に違いありません。左の尾根下とこの段でも十数メートル以上落差がありそうです。

私はもう一つの小尾根を登ってきましたが、こちらの尾根は登れなかったでしょう。小尾根一つ間違えて正解でした。秀長さんは甘く見ると痛い目に遭います。
空堀の下部。
左は小竪堀で、右が大きい竪堀です。鳥取城側の竪堀が大きい。小竪堀の上部は階段状に削平地がある。

この真ん中の土手に菱垣を建てたのだろうか。
大きい空堀を見る。
上部の空堀。
羽柴秀長陣所の大平(おおなる)西端。
陣所中間地点。

今日ここに来て枝を払った人がいる。葉は全く枯れていない。切り口は少し乾いている。今日の午前中のようだ。最近久松山でも何日か前に枝を払った跡に出くわすが、今日はニアミスだ。

私は全く刃物を持たない人間です。以前は山鉈も持っていたが、枝を払うと体力を消耗する。くぐる方が省エネで楽ちんだ。
それに私が刃物を持つと怪我をする。ドジな性格なので、転んだとき腰に付けた刃物が腹に刺さらないか心配してしまう。結局ザックの中に入れたままで、出し入れが面倒で重たいだけだ。
東端部。
秀長陣の東南端から遊歩道に下る空堀。遊歩道までは2列で、西の鳥取城側が大きい。
崩れを防ぐためか石を配している。

今日の椿谷から羽柴秀長の陣への直登は、標高差も距離も短いですが、藪もあり地形も急なところがあります。人にはお勧めできません。
今日歩いたコース。

 P 経家公墓所駐車場
 A 5号歩道・椿谷分岐
 B 秀長陣所直登ポイント
 C 空堀北西端
 D 羽柴秀長の陣所
 E 空堀・遊歩道出合
 F 本陣山道・5号歩道出合
ホームに戻る 歴史トップに戻る