秀長陣から空堀 Part1 |
平成19年4月29日 所在地:鳥取市円護寺 |
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先日は椿谷から羽柴秀長の陣所に直登したが、更に周辺の地形が知りたくて5号歩道から尾根伝いに秀長の陣に登り、その後空堀の続きを歩きたいと思います。
経家公墓所に駐車して遊歩道を歩く。五反田平の陣所の近道地点で反対尾根に取り付く。 |
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上の写真の左側地点。少し藪になっています。
私は平気ですが、普段遊歩道しか歩かない人は進入しないでください。藪は枝が目に入ったり、棘が皮膚に食い込みます。私は25年以上山を歩いており、一応地図も読めます。 |
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取り付くと左側にルートを修正しながら尾根の芯に乗ります。 |
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地図で尾根の傾斜が緩くなる地点で、左を見ると削平地がありました。しかし尾根自体には加工された跡はありません。
写真の奥は尾根ですが、藪がひどいので良い写真が撮れませんでした。 |
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尾根を少し戻り、腰曲輪でもないかと北側に降りると、直ぐ下に道の跡がありました。
左は上側(東)に向かって撮影。
この地点より少し上に歩くと削平地ですが、その辺りから道が不明瞭になりました。 |
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同じ地点で下側を撮影。道は尾根と平行です。
この道は何の道でしょうか。ひょっとして、今から426年前の天正9年に、秀吉が鳥取城を包囲した時の物かもしれません。
道は斜面を削って造られたようです。この地点は、秀長の陣所から同じ尾根筋の五反田平の陣所に行く途中で、五反田平を秀長勢が守ったとすれば、補給路として使われた可能性があります。
考えてみれば、五反田平の陣所には他に最適な兵站道が考えられません。道は尾根の真上でなく、鳥取城から見えにくい尾根の北側にありました。 |
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更に道を下に降りて見ると、少し藪がかってきました。
これを天正9年の道とするには、更なる調査が必要で、所詮答えは出ません。 |
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尾根の傾斜が強くなる地点。 |
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その地点で右を見れば「削平地か?」
イノシシが掘り起こし過ぎて何だかよく判りません。石ころがゴロゴロしています。 |
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更に尾根を登ります。猛烈な藪はありませんが、足に棘が刺さったり・・・・。
私は遊歩道を何回も歩くと飽きてしまいます。時々違うコースを歩くと楽しいのです。 |
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頂上4分手前。少し歩き易くなってきました。この辺りになると明るくなり、頂上直下だと判ります。
この尾根は、先日の椿谷の尾根より幅も広く緩傾斜なためか、炭焼きの跡が多数有りました。 |
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2分手前です。
5号歩道の尾根取り付き地点から陣所まで、ゆっくり歩いても20分は掛かりません。しかし、私は削平地や道の痕跡を上がったり下りたりして、それだけで30分もロスしてしまいました。 |
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