羽柴秀長の郭? 平成19年5月27日 所在地:鳥取市円護寺
午後4時から外出するのですが、5時40分には帰宅しなければなりません。2週間ぶりの山なのに何で・・・・。
実は家族が病気で、自分の時間も何もない。高い山に登る時間もないし、山菜採りにも行けません。
とにかく、お山が好きなので円護寺へ。吉川経家公墓所に駐車して遊歩道を歩き、この看板の先で右尾根に乗る。

バレましたか、写真は「椿谷から秀長陣へ」の物を流用しました。
尾根は極相林。藪もないし歩きやすい。右側には葭原神社があり、神社に隣接しているので、樹木の伐採を免れたようです。以前五反田平の陣所にこの尾根から登りました。

ここは加工されているようにも思えますが、判断が難しいので、無加工の自然尾根とします。

もちろん、そのままで十分砦として使えます。
下側を見ます。ここを下ると先程の看板に出ます。
高木と僅かな低木。極相林は綺麗です。
遊歩道に戻り、先に進みます。この尾根は簡単に登れますが、寄り道ばかりしていると進まないのでパスする。
歩きながら周囲を見ていると、道の左に何かありそうな気がした。林に突入する。

普段はよく外れるのだが、今日は勘が当たりました。平地があった。遊歩道から距離20m程、標高差は5m位?。歩測すると結構大きい。

残念ながら藪が凄く、全体像は撮影できません。

以前に来た人が、密生する矢竹を折って集めていた。最近久松山で良く見る刈り払いとは少し違う。時間も大分経っている。
上の木から離れて撮影しました。矢竹が邪魔をして何だか判らない写真です。藪を刈り払わないとまともな撮影は出来ません。

でも、向こうに平らな部分があるのが判りますか。先端部の削平は甘いが、秀長の陣に近い方は自然地形ではない。

天正9年の遺構だろうか。
最近思うのだが、吉田浅雄氏の「秀吉鳥取城攻略の本陣及び付近遺構要図」に書かれた羽柴秀長の陣所は、少し向きがおかしい。上が元図で下が修正した物です。

理由は、下図のA尾根を「椿谷から秀長陣へ」で、B尾根を「秀長陣から空堀」で歩いた勘です。確認するには下の尾根を登るしかない。

図は秀長陣所の主郭部だけ向きを変えたので、他の郭との関係がおかしくなっています。

私は好奇心でで山を歩いているだけで、お城の勉強をあまりしていません。専門家ではないので、参考にはなりません。
※平成19年9月、吉田浅雄氏のお宅を訪問し元図を拝見しました。元図の小郭は下の図のように尾根に繋がっており、「秀吉鳥取城攻略の本陣及び付近遺構要図」の作図時に郭の方向を間違えたものと判明しました。
今日見つけた郭らしき物の位置。詳しく調べていないので、位置も形状もいい加減です。大きさは他の方の確認後に記入させていただきます。

今まで、秀長の陣所に谷からの進入を阻む郭がなく、不思議に思っていた。これが郭なら遺構が連続するし、遊歩道位置にあった昔の道を監視する場所でもある。

あくまでも藪なので、一般の方は進入しないでください。私はズボンの上から棘が2箇所刺さりました。
調査される方は矢印の方向から進入してください。遊歩道分岐からでもほぼ同距離です。
遊歩道の尾根からも登り直しました。尾根方向からは炭焼きの穴があり、ウラジロが覆っていますが乗ると深いです。郭らしき物周辺が藪なのは炭焼きの伐採によるのかも知れません。

ウロウロしていると、家に帰らなくてはならない時間に。今日は歩けなかったが、C点に小郭でもないかなと考えてしまう。今日は寄り道ばかりで運動になりませんでした。

郭らしき物にはイチヤクソウが生えていた。花が咲こうとしている。イチヤクソウは珍しい植物ではありませんが名前が好きです。
しかし花の撮影はピントが上手く合わず何時も失敗しています。今日も葉っぱにピントが合っている。
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