鳥取城北坂道2 |
平成19年03月18日 所在地:鳥取市円護寺・湯所町・東町 |
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峠を過ぎてからしばらくは、余り大きな削平地はありません。 |
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尾根道を進みます。 |
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ロープウェーの支柱があります。以前来たとき、この足元は全面イノシシが掘り起こしていましたが、5年も過ぎると綺麗になっていました。
ここにも曲輪があったのでしょうか、開発で壊されたのかも知れません。 |
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久松山の傾斜が急になり岩がありました。これは防御に使えそうな岩です。426年前の天正9年にはもう少し土に埋もれていたのかもしれません。 |
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山頂に近づき曲輪があります。 |
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大岩もあります。この辺が鳥取城の重要な最終防御拠点でしょう。 |
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岩尾根の右側を登ります。 |
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密生した竹藪があります。怪我をしないよう通過。 |
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竹藪を越えると、あっけなく天守台手前の防空監視所の痕跡の所に出ました。 |
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防空監視所の痕跡。 |
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午後4時から登り始めて5時に天守台に到着。5年前北坂道を登ったときの洞窟を今日は見ませんでした。と言うことで洞窟探検をします。 |
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記憶が曖昧で位置が不明なので、本丸から出丸に下りさらに進むが見つからず。斜面を上下してやっと発見。入口は2箇所あり、北側の入口は塞がれて入れません。 |
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南側の入口。入口2箇所はほんの数メートルの距離です。ここから進入。 |
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入って正面の穴。これが太く掘られています。 |
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中から北側の入口を見る。 |
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右側の穴。太さも細く短いです。置いてあるのはブロックです。
どう考えても戦国や江戸時代とは関係なさそうです。戦時中に防空壕かゲリラ戦を想定して掘ったものでしょうか。 |
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洞窟の略図。かなりいい加減です。 |
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振り返って入口を見る。
この穴を掘削したときの岩クズは何処に運んだか。かなりの量だろうが下の斜面に放棄したのか。
ロープウェーの工事では、山上ノ丸を全部ブルトーザーでならした。史跡破壊も繰り返されると元の姿が見えにくくなる。 |
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洞窟を出て右斜面を登ると、天守台北東端の御旗櫓に出ました。何だこんな所にあったのかと納得。この位置関係では洞窟は天守台の下までは掘ってはいないようだ。
しかし御旗櫓跡はイノシシが掘り起こして滅茶苦茶です。 |
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