中水道北尾の陣所2 |
平成19年11月3日 所在地:鳥取市東町・栗谷町・円護寺 |
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前回、中水道北尾の陣所を紹介したが、時間が遅く良い写真が撮影できなかった。10月28日はH尾根の遺構を調べた。尾根はウラジロの密生した幅のある尾根だったが、先のC尾根との繋がり方が日没で良く判らなかった。
今日は中水道北尾の陣所南東尾根をもう少し調べたいと思います。 |
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円護寺の吉川経家公の墓所に駐車して5号歩道を歩く。分岐でひょうたん池に向かう。
ひょうたん池の堤横で足元の石畳の道を眺める。写真は奥が上流側で、右が堤防、左は山側で左上は道の跡。この道の跡と石畳道の関係が判らない。
下の図のJ地点。 |
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道の右側。蹴ってみると石だ。良く見ると、高さは低いが石垣になっていた。
何回もここを通っていて何故今まで気付かなかったのだろう。 |
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左側も同じく石垣。よく苔むしているので判らなかったが3面石で作られている。
ひょっとして、これは道ではなく増水時の放水路としても作られているのではないか。
とすれば、この石垣の直ぐ上の道は増水時の道となり説明がつく。 |
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10月28日にこの堤の上を歩いて反対の端まで行ってみた。これはその時に撮影した放水路。下の図のL地点。
大雨で池が満水になると、堤防より低いここから水が溢れて放水される。もし堤の上を水が流れると、水は土を運び最後は堤防が決壊する。
良く見ると高さも作りも上の道と良く似ている。水流で土砂が運ばれ難いように3面を石で作られている筈だ。但し、私はこの時落ち葉を掘って下の石を確認していない。無責任なレポートで申し訳ありません。 |
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途中の池が縊れた部分にも水路が堀切ってあった。下の図のK地点。
残念ながら、ここも両側や底が石で出来ているかどうかは確認していない。また調べなくては。 |
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図は吉田浅雄氏の「天正鳥取陣営跡之図」の部分です。
J K Lそれぞれが放水路と考えても良いのではないか。ひょうたん池は、増水時の色々な事態を想定して造られているのかも知れない。
28日はGを歩いてみた。西側は岩尾根で急傾斜になっており、南も急斜面、北西は穏やかな地形だ。自然地形で中水道からの通行を監視できる。谷を挟んだ尾根も秀吉勢の陣地である。両側から鉄砲で撃ちかければ通行は困難となる。
28日は、その後A地点からH尾根に登り中水道北尾の陣所まで歩いた。 |
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以下は下の地図での説明です。
今日は最初ひょうたん池から中水道に降りてGの南側を見た。その後中水道北尾の陣所の南東尾根を調べるためB地点でC尾根に登る。
左は前回C尾根を歩いて見つけた尾根の郭。下3分の1は写真のように樹木が密生して郭の向こうを見渡すことが出来ない。 |
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途中を見る。尾根の幅は6m程で広くはない。郭は水平です。
ちょっと小枝を切らないと郭だか何だか良く判りませんね。 |
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尾根の上側から下方向を見渡す。これが唯一郭を広範囲に見られるアングルです。奥は樹木が密生している下側部分。 |
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横方向を見る。 |
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上の段の真ん中には溝が掘ってある。後世の炭焼きの跡だろうか。 |
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C尾根からH尾根に乗り、下って撮影。尾根の下端に近い部分。
H尾根は下は幅8m程、途中C尾根と出合う地点で10m位、その上の中水道北尾の陣所に近づくと15m程になる。
ウラジロが密生している部分が多く、自然尾根か加工されたのか良く判らない。幅のある傾斜した尾根としか言いようがない。
傾斜が強すぎる気もしないでもないが、砦として使用したのかも知れない。 |
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絵が下手で申し訳ありません。中水道北尾の陣所の南東尾根を解説するために描きました。
尾根はH尾根が主尾根でC尾根は支尾根でした。
C尾根の遺構は歩測で幅6m、長さは上下合わせて38m程です。
下図のI周辺にも小さな平地があるが、自然地形か加工された物かは良く判らない。 |
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この尾根の上下関係を考えると、私ならH尾根に大きな郭を作りC尾根は小さな郭にする。H尾根を切り取られたら、C尾根の郭は上から攻められ何の意味もないからだ。しかし頻度から考えれば、鳥取城に近いC尾根の襲撃を想定するべきなのかも知れない。
C尾根は裾野が広く、H尾根は裾野の幅が狭い。それならば、攻められやすいC尾根の方にしっかりした郭を築いて、そのまま使えるH尾根は加工を省略したのかも知れない。 それともG地点の要害も陣構えに含んで作られているのだろうか。
いずれにしても、鳥取城と直接対峙する中水道北尾の陣所は、以前より兵の配置が変わってきた。色々な方向からの攻撃に備えて、各方面に万全に兵を配置していたと考えるべきだろう。
下の図は、鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏の「天正鳥取陣営跡之図」の部分を拡大した物です。 |
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この後Fの40番次北尾根嵩みの陣所を見に行きました。こちらは北の備えの郭です。鳥取城側に土塁を築き、孤立した場合の南からの攻撃にも備えているようです。 |
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