サイノ乢附城 平成19年3月25日 所在地:鳥取市円護寺・湯所町
先日鳥取城北坂道を歩く際、すぐ近くを通りながら時間の関係で歩けなかったサイノ乢(たわ)附城に行きます。只歩くのではなく、ついでに道祖神峠の北側の旧道を探します。
ここで解説します。サイノタワ・サイノ乢・道祖神垰・道祖神峠と書いて皆同じ事をさします。道祖神について詳しく書くときりがないので省略しますが、道端の神様です。
円護寺墓地下の駐車スペースに車を停め、墓地を適当に登りました。墓地最上部から数メートル藪こきで出た所が偶然旧道の入口でした。墓地の造成工事でそれより下の道は不明です。

左は旧道の入口地点。
トタンの奥を覗きます。この地点は、円護寺隧道のS字カーブ下の小径の入口から約250歩の地点です。
進むと道らしくなってきました。
少し藪になりかけた所もありますが、通行に問題はありません。
さらに進むとピンクのテープがあり、そこで左に道が分岐しています。左は分岐した道。
道を下ってみると、先程歩いた道より新しいようです。この突き当たりは円護寺隧道の北口から十数メートル位の所で、道路とは段差があり降りられません。道路手前は笹藪で通りにくいです。

道の詳しい歴史は判りませんが、こちらの道が隧道が出来る前の旧道で、先程の道はさらに古い旧道のようです。
道を引き返し、道祖神垰に行き、平和塔への遊歩道を登ります。
この遊歩道標識の地点で斜面を登り附城へ。
サイノ乢附城の主郭部。
南側には土塁の跡があります。
主郭から下の曲輪を望みます。

附城は北からの攻撃に備えて造られており、北端部は虎口のようになっていました。この城は構造から見て、秀吉勢の宮部継潤が作った物ではなく、もともと鳥取城側の作った物を、宮部勢が占拠したようです。

附城は鳥取城攻防戦で宮部勢が籠もったにしては、鳥取城側への防御工作があまりされていないようです。
降りて下から主郭との段差を見ます。

鳥取城はその歴史から、時代毎の改変を大きく受けており、ある一時期の状態を想像することも難しい。
鳥取城包囲網に対抗するため造られたサイノ乢附城は、その後宮部継潤が改造したにしても改変は少ない方だ。
北端部の虎口状部分。附城の兵站補給路はどの道だったのでしょう。

サイノ乢附城を見終えて、遊歩道を南の湯所側に下り千人返りの峠道を探す。尾根に痕跡があるが不明瞭。しばらく登るが日没近く撤退。

円護寺隧道を通り、十神林道で反対側の道を探し登り始めたが笹藪が凄く撤退。ほんの僅かな距離なので残念です。
続けて久松山の地獄谷を登る。入口はそうでもなかったが直ぐ笹藪となり、日没後に藪こきも大変なので撤退しました。地獄谷は両岸急傾斜で巻くことも出来ません。たった300mで頂上なのに。
またトライします。

右は今日のコース。
 P 円護寺墓地駐車スペース
 A 道祖神峠旧旧道入口
 B 道祖神峠旧道
 C サイノ乢附城
 D 千人返りの峠道湯所側
 E 千人返りの峠道円護寺側
 F 久松山地獄谷
 G 千人返りの峠
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