鳥取城寺屋敷 平成19年2月12日 所在地:鳥取市東町 久松山
鳥取城南坂道を歩くので、ついでに寺屋敷を見ます。円護寺の吉川経家公墓所前に車を置いて出発。

寺屋敷とは鳥取市東町の長田神社の奥、水道谷の最奥部に位置します。伝承では鳥取城に入った因幡守護山名豊国が鳥取市布施(布勢)の仙林寺を移築したとあり、古図には仙林寺と仙伝寺が描かれていたそうです。

以前訪れたのは10年以上前で、近くを良く通っていたのですが、寺屋敷は余り詳しく調べませんでした。
遊歩道を十神林道終点まで歩き、ここで左に曲がり斜面を長田神社側に下る。林は大木も多く、極相林となっていて、普段藪こきばかりしている私としてはとても歩きやすく幸せ。

しかしこの大木も何時かは朽ちて倒れ、地面に大きな穴を開けるのだろう。まあそれも自然の摂理、逆らえるものではない。などと納得してしまう。
大木を見てウットリしてしまう変な人がいます。
峠から標高差30m程下ると削平地に出ます。これが寺屋敷の最上部です。

吉田浅雄氏によれば、100m四方に15余りの平地を配置とあるが、道の両側に階段状に削平地が並んでいる。
周辺に石が多く落ちているところがありました。
別の削平地。残念ながら大木ではなくて藪です。良く見晴らせるポイントがなく、他の削平地との位置や相関関係が把握できません。
井戸の跡がありました。発掘すると色々遺物が出てくるかも。

他にも炭焼きの跡らしきものもあります。実は第二次世界大戦後の物資難の頃、この水道谷で炭焼きをしていたそうです。昨年ある方にお伺いしたのですが、その方もここで炭を焼き、市役所の暖房に使っていたそうです。
樹木の伐採で樹齢が若く、藪化しているのでしょうか。
瓦や瀬戸物の破片が落ちていました。
道沿いに五輪塔がある。火輪・水輪・地輪の大きさが合っていないので、複数の五輪を組み合わせた物でしょう。
五輪塔の向かいには石で囲った枡形のものが見られます。谷水を引いていた井戸の跡でしょうか。
戦国時代の鳥取城の大手は西坂でした。寺屋敷は水道谷を攻め登る手勢から、搦め手の東坂を防御する城砦として築かれたのでしょう。

山中鹿之助が鳥取城の武田高信を攻めた時は、ここはまだ城域となっていなかったのか。高信としても、ここまで城域を広げるには手勢が不足していたのかも知れない。

寺屋敷がいつ頃まで存続したのかは不明です。もちろん本当はその始まりも正確には判りません。

この後、南坂道を登って東坂道で下山しました。
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