鳥取城の瓦 平成18年3月26日 所在地:鳥取市東町
鳥取城で拾った瓦。

右上の揚羽蝶の瓦は、私が中学生の時に拾った物。昭和42年か43年頃だろうか。元は灰色だった。

久松山のロープウェー工事が始まる前で、天守台から本丸に降りてみたら、落ち葉の上に裏返しで落ちていた。

当時、久松山の山頂は天守台以外は樹木が茂り、歩く人もなかった。

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平成18年3月26日、天守北側斜面で拾った瓦。翌日27日に軽く汚れを落とし撮影。瓦が長年水を吸っているため色が黒い。

春になり運動のため登った。それまで天守台北斜面は歩いたことが無く、降りたら急斜面に裏返しに落ちていた。周りにも瓦多数あり。ここの瓦は古い物が多い。

その下の郭にも多数の瓦が積もっていて、斜面を滑ったものと思われる。


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同じ瓦の角度を変えて撮影。

模様は左三つ巴と言うらしい。三つ巴は秀吉が使う瓦なので、もしかすると宮部時代の物だろうか。


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巴部分を拡大。



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鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏の「戦国城砦 久松山鳥取城跡之図」3枚綴りの中で「鳥取城山上ノ丸及ビ付近城跡図」部分を使用。

三つ巴瓦は急斜面に引っ掛かっていた。その後「他の瓦」地点を経て瓦捨て場で二ノ丸に這い登る。
中学生の時に拾った揚羽蝶の瓦は石垣のすぐ近くに落ちていた。
3月26日、地図の「他の瓦」地点で拾った物。

明らかにかなり新しい瓦だ。上の軒丸瓦と同じく縁の幅が広く肉厚も厚い。


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これも「他の瓦」地点で拾った。この瓦は縁の幅が狭く厚さも薄い。重量のない瓦だ。


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これは西坂の登り始めを下に降りた地点で見つけた。

周辺は県立博物館や北中学校のすぐ上で、崖崩れ防止工事がされていたが、大きな木の根の間に挟まれていた。

樹木が生長する前に落ちていた瓦を、成長と共に根で挟んだようだ。根の間には他にも瓦があった。この木の周辺は、工事で綺麗さっぱり何もない。

左が揚羽蝶の頭部で右は足のようだ。瓦の質は非常に粗末で、縁の幅も狭く肉厚も薄い。揚羽蝶だから池田家なのだろうが、粗末なので池田長吉の物だろうか。当時は西坂に塀でも有ったのか。

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これは三つ巴瓦の近くで拾った物だと思う。少し曖昧。

瓦に文字が書かれている。これも瓦の質が悪い。

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字を拡大する。「村」と読める。


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地図の「瓦捨て場」。

山上ノ丸二ノ丸の休憩舎西下には瓦が多量に捨ててある。休憩舎の横に積まれている物と違い、かなり原型をとどめている。見たところ新しい瓦が多いようだ。

休憩舎の横の瓦は、ロープウェー工事のブルトーザーが踏み割った物だと思う。

何時の時代か不明だが、故意にこの斜面に瓦を捨てたようだ。

上からトラロープが垂れ下がっていて、ロープを伝えばぎりぎり登れる。急傾斜なのでご注意を。
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