水道谷調査2 |
平成20年4月25日 所在地:鳥取市円護寺・東町 |
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先日は北側にある尾根を歩いた。今日は谷を調べる。
E地点で何となく遺構のような地形が現れる。左端は切岸のような気もする。 |
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削平されているのでしょうか。 |
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前半のコース図を再度表示します。 |
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右横の斜面を見ると道の痕跡があるようだ。写真中央だ。獣道にしては幅が広すぎる。 |
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道をたどると斜面に削平地があった。これは明らかに樹木の倒伏や地滑りで出来た地形ではない。この小さな郭も見張り場だろう。コース図のF地点。
この先で道を見失い斜面を横にトラバースする。結局ぐるっと回ってD地点に戻り、また谷を登る。 |
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その後の谷は何もなかった。
空堀まで登り北に進むと、尾根と谷の間Gに一つ小さな郭があった。先日尾根を登ったときは見落としていた。谷の見張り場だろう。 |
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この小郭は腰曲輪がついている。これを進むと道になっていた。 |
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写真右下から上に道の跡が見える。H地点。
道を辿りながら、途中左の緩斜面を歩きからづつみに降りた。I地点で空堀先端と先日見つけた道の接続を調べる |
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吉田氏の「本陣及び付近遺構要図」を良く見るとルーペでしか見えないような点がある。 |
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これがそのJ地点。石垣の跡です。郭を繋ぐスロープに石垣が築かれている。。 |
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谷を北に進み、4月6日に歩き忘れた郭を調べる。K地点。
ここはとても緩やかな川の中州です。南の郭は中州の高みと言うほどの高さもない。
北の郭は余りにも標高差がないので下を掘り切ってある。 |
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堀切の段差。 |
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Kの郭。
4月6日にこの尾根の上の遺構を調べたが、その郭群とここの間に見落としがないか尾根を登る。尾根はかなりの急傾斜です。
以前見つけた郭群の下端L地点まで調べたが間には何もなかった。
同じ尾根を下るのは急傾斜で危険と思い、緩やかな尾根を下る。 |
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谷のM地点。
周囲を急斜面で囲まれて、谷は標高差は少ないけれど深く見える。 |
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M地点からまだ調べていない尾根を登る。
この尾根も急な尾根です。イノシシの獣道を辿る。結局遊歩道横の小さな郭以外ありませんでした。
ご苦労さんでした。いや、こうして無駄な歩きを続けながら、一箇所ずつ調べていくのが本来の調査です。
この後、遊歩道で太閤ヶ平に行き山頂ベンチで一休みしました。 |
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さて後半戦開始。
後半のコース図です。
太閤ヶ平からからづつみの間の郭は、それぞれの部分は歩いていますが、全部を見ている訳ではありません。
今日は運動不足解消にまとめて全部歩こうと考えています。
太閤ヶ平の本陣櫓台の下O地点から下降開始。
それぞれの郭を縄張り図で確認しながら、位置のずれや見落としがないか確認します。 |
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Oの少し下の郭。単なる藪です。
からづつみまで降りると今度はまた登り。横にある郭も見落とさないように横移動もし、上がったり下りたりして形状の違いも調べます。
また太閤ヶ平の道Qに出ると、丁度ジョギングの人が通り過ぎます。今度は下降。途中今まで見ていないRの周辺も調べます。図には長方形に書かれていますが、何となく三角形のようでした。
空堀の右側の郭は、空堀横に道があったのですが、途中から道がわからなくなりました。 |
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今日の前半と後半を合わせたコース図。
余分な上がり下りがあるので、実際の標高差は500m程だと思う。久しぶりに少し運動をした気分。
吉田浅雄氏は、からづつみと空堀の東側は丹念に歩かれている。この区間に大きな見落としはない。
氏は「岡嶋正義は空堀を重要視していなかった。自分は空堀が毛利との最終決戦を想定したものだと考え大きく取り上げた。」と言っておられた。
上月城の熊見川の戦いで、毛利に散々ひどい目に遭わされた秀吉は、鳥取では絶対に負け戦を避けたかったのだろう。 |
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