仙石秀久陣所道1 平成20年6月1日・8日その他 所在地:鳥取市栗谷町・上町
鳥取市の城郭研究家吉田浅雄氏は、羽柴秀吉の鳥取城包囲網で、鳥取市栗谷町と上町の樗谷の間の尾根を栗谷南嶺と呼ぶ。

秀吉本陣の太閤ヶ平と尾根続きであり、配下の武将を配置して厳重に守らせた。

尾根上の遺構を調べたいのですが、尾根に登る道は何処にあるのか探してみます。

図は吉田氏の「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」の部分です。
樗谷公園の梅鯉庵(ばいりあん)。

ここは、江戸時代徳川家康を奉った因幡東照宮(樗谷神社)別当の大雲院があった場所です。明治になると神仏分離で大雲院は立川に移転し、明治30年には護国神社がここに移されたとのこと。

この辺りで登り口を探したところ、やはり道がありました。
梅鯉庵のすぐ東に石垣がある。石垣は新しい物のようで、護国神社時代の祠の跡だろうか。下の図A地点。
その石垣の右側に登り口がある。
石段になっている。

この石段は左の石垣への道となっており、後世に変えられた可能性もある。もしかすると昔は石垣の位置に道があったのかも知れない。
その先にイノシシ除けのネットが張られています。
道は斜面を削って造られたものです。

ここまでは良かったのですが、その先が大変。
尾根の地図。
Aが登り口。
道は図B地点で途絶えていて、崩落防止のコンクリート壁になっていました。道が斜面崩落の原因になったようです。

とび職ならこの桟を歩くのでしょうが、足を滑らすと下まで落ちます。6月1日はここから引き返し、少し手前を大きく高巻きました。しかしそこも急斜面でした。
6月8日は壁の直ぐ上を高巻いてみました。

写真左下はすぐコンクリート壁です。テープもありますが急傾斜です。
コンクリート壁の先の道から元方向を振り返る。
下の樗谷公園から見た壁の様子。一番上が道の高さ。

※注意 一般の方は歩かないで下さい。落ちると即死か骨折です。

私は昔の道を調べるために歩いています。自分の能力以上のことはしません。意味のない肝試しはしないようにお願いします。
その先に分岐があります。 図C地点。

左上が上に登る道で、中央右が水平に進む道。
6月1日はCからDを目指しました。

道は小刻みに折り返し、斜面をつづら折れに登っていきます。折り返しは3〜5m程です。
極端に道幅が狭い部分はありません。
ペンキを塗った木もあります。境界線維持作業の際の目印でしょうか。
テープがありました。この道にひどい藪はありません。
ようやく上に到着。

場所は仙石秀久陣所Gの横で、腰曲輪の一段下の道に接続していました。道は19回折り返しています。D地点。
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