鳥取城北坂道1 平成19年03月18日 所在地:鳥取市円護寺・湯所町・東町
今日は鳥取城の北坂道を歩きます。
円護寺の経家公墓所に駐車し、国土地理院の地図に破線で書いてある道を歩こうと、久松山の方に歩き給水タンク横の小川に行きました。
丁度対岸に農家の方がおられ、小川を渡り声をかけました。道のことを尋ねると、どうも地図と違っているようです。十神林道へ行くには目の前の笹藪を指さして、「ここを進めば上がれるよ。」と言われました。さすがにその藪はパスしました。
さらに聞くと地図とは違うが道はあるとのこと、案内され川沿いの道を下り、民家の先で左側の道を教わりました。
農家の方と色々お話をし、貴重な情報を入手。左はその際写した五反田平の陣所。
これが教わった道。両側は戦後の食糧難の時に開墾した畑。笹が茂りやすく、何年か放っておくと直ぐ笹藪に戻るそうです。

今は十神林道入口はチェーンで塞がれていますが、数年前までは入口には数台の車が置け良く利用していました。その頃円護寺に降りる道の存在は確認していました。
振り返って見る山。手前の針葉樹の尾根は、かって秀吉方の包囲の陣がおかれていた。住宅街から少し離れると何となく戦国時代が見えてくる。

そして後で判ったのですが、この道が「千人返りの峠」の道でした。
道は少し笹藪になりかけていますが、十分通行可能。円護寺の方は「千人返り」とお婆さんから聞いており「千人返し」ではないとのこと。この辺の言葉のゆらぎは微妙なものです。
十神林道に出ました。以前来ていたときはこんなに笹が茂っていませんでした。
道との出合の直ぐ西には「鳥取市制百周年・平成改元 記念植樹」の碑がある。ここで今の道の続きを探すが道路沿いに発見できません。

その時は小川の左側を探していたのですが、実際は画面中央の笹藪が道の痕跡でした。
十神林道の入口まで歩き、円護寺隧道のS字カーブを曲がった所で左の細い道に入ります。
入って直ぐの谷に突入。
谷を登ると右側に道の痕跡を発見。これが道祖神垰の旧道か。
道祖神垰に進みます。結構な道幅です。
峠手前には井戸がありました。
道祖神垰。この先に平和塔への遊歩道の分岐がありますが、北坂道に取り付くのはこの手前左に踏み跡があります。まあ何処でも斜面を登れば取り付けます。
北坂道は2002年4月22日に、丸山町から久松山まで歩いたのが初めてで今日が2度目です。

ここは天正9年の秀吉の鳥取城攻めの最大の激戦地。鳥取城の補給路を断つため、宮部善祥坊継潤がこの峠を攻め切り取った。
本当は西にあるサイノタワ付城を見たかったのですが、本日は午後4時からの登りで時間が無くパスしました。
吉田浅雄氏の「秀吉之天正鳥取陣営」の60番「道祖神上ノ砦の東ノ要害」。図説では「千人返し峠北の砦」の「その北嵩み砦」の削平地に着きました。ここは秀吉勢に対抗する鳥取城側の砦。
この辺になると道もしっかり窪んでいる。
「道祖神上ノ砦の東ノ要害」の削平地。
さらに進み「千人返し峠北の砦」を過ぎ、千人返し峠の堀切道を越えます。
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