柿ヶ谷小松林の陣所尾根3 平成20年6月・7月 所在地:鳥取市栗谷町・馬場町・上町
再再度図を載せます。

今度は他の尾根を見てみよう。
さてD尾根の途中から分岐するE尾根はどうだろうか。

D尾根を歩いていても分岐点は気付きにくい。地図を頼りに、この辺だろうと横移動すると尾根がありました。分岐点近くに見張り場らしき所もあります。

図では道が無いように書いていますが、実際は写真のように踏み跡らしき窪みがあります。

しかしウラジロが繁茂しているのと、途中で不明朗になります。下には明確な郭はありませんでした。
次はF尾根。

F尾根は道の起点がとても判りにくい。写真の赤ペンキが目印。
道は割と大きく窪んでいます。でもD尾根より少し浅い。
ウラジロで判りにくいが道は良く窪んでいる。

この尾根の下に明確な郭はありませんが、下端は龍峰寺の墓地に近い竹林になっていました。
大隣寺北のB尾根を見ます。尾根先端はお寺の本堂が建っており、元の姿は想像できません。

その上も写真のように墓地に加工され、ここが郭だったかどうかは判りません。
尾根を登って見ます。

お寺が墓地を造成しており、位置的に郭がありそうな場所でも疑ってかかるべきでしょう。
尾根の上だけではなく、斜面も切岸されています。
尾根を削った残りが細く残っています。
芳心寺北のC尾根はどうでしょう。

仙石秀久の尾根端から見たC尾根。尾根は階段状になっています。
その先端はやはり墓地。
さらにその上も墓地です。
少し自然が残っています。しかし墓石が散乱しています。
その上は凄まじい事になっていました。

江戸時代の工事でしょうが、尾根を大きく削り墓地が造成してありました。

天正どころか、元の山の姿も想像できません。墓は倒伏し悲しい姿です。
BC尾根は、墓地の造成で破壊され、天正9年の姿は全く想像できません。

しかし、BC尾根の出会いには削平地もあり、A尾根に兵士を置いてBC尾根に郭を造らない武将はいないでしょう。

ABCDの尾根を合わせると結構な兵士が必要で、それを指揮するのは柿ヶ谷小松林の陣所Gでしょう。
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