栗谷南嶺比丘尼ヶ平 |
平成20年12月20日 所在地:鳥取市上町 |
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栗谷南嶺に比丘尼ヶ平という場所がある。南嶺の中央に位置する。
吉田浅雄氏は「羽柴秀吉の天正鳥取陣営跡之図」の中で「東西70m南北100m山腹に10段余の平地、竪堀、切岸、池、兵馬の駐屯」と書かれている。
場所は地図のO地点。 |
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山の頂上近くだが一段低くなっている。 |
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周囲の山に屏風状に取り囲まれた地形。 |
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周囲の山は切岸のようだ。
この地形は典型的な地滑り地形だと思う。山の片斜面全体が滑って陥没したようだ。
地滑りの原因は、下に水を透さない地質があり、その上を伏流水が流れている。一定以上の伏流水が流れる時に地盤が持たなくなり地滑りが発生する。 |
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図を再掲します。
オレンジ色の線は基幹道
ピンク色はそれに準ずる道
青線は不明瞭な道
緑線は舗装された遊歩道 |
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比丘尼ヶ平の内部は複雑です。色々な起伏があり訳がわからない。
人間が加工した物か自然地形かの判定も難しい。
これは一番平坦な場所。自然地形なのだろうか。 |
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少し上にある平坦地。 |
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そこに上がるスロープ状の道。これは加工されたものだろう。 |
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その道の横には土塁状の物がある。 |
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上の方にある平坦面。余り広くないし、そう平坦ではない。
比丘尼ヶ平をどの様に解釈するかは難しい。地滑りの自然地形を少ない加工で使用したのかもしれない。
地滑り地形特有の現象で、直ぐ下のKやL地点では水が浸みだしている。山頂からあまり標高差のない場所で水が得られるのは大切なことだ。
山中では馬に飲ませる水を確保することはとても大切。そう言う意味では、吉田氏の言うように兵馬の駐屯地として使用していたのかもしれない。 |
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これは一番下にある土塁状の物。 |
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虎口状の部分もあるが、道の摩耗で土塁状に残ったものかもしれないし、地滑りが起きる時に弾みで下の方の土地が高くなることもある。 |
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比丘尼ヶ平には炭焼きの跡が無数にあり、色々な形状そしている。
左は上が炭を焼く窯、手前が煙突部分。落ち葉が堆積し窯がわかりにくい。大きさは炭焼き窯としては小さい方だ。 |
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煙突部分を拡大。中央の土が焼けて変質している。 |
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道の交差点Pから尾根上に登る道を歩く。
ここは道が土塁状になっている。
写真はH21.3.16撮影。 |
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少し上から下を見下ろす。 |
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道はよく使われていたようで、しっかりしている。 |
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下を見下ろす。 |
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稜線の道近く。上の道からこの道に降りるのは、分岐を憶えていないとちょっと難しい。
ここを歩いていて、Q地点から植林越しにRの遊歩道が見えた。近いし傾斜もしれている。斜面を下って遊歩道に下りた。帰りは近道で楽でした。 |
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