高平城山頂・東尾根曲輪2 |
平成21年5月31日 所在地:鳥取県八頭郡八頭町日下部・福井 |
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K南端の降り口。
このコースで登る人が多いようで、他のコースの道はあまり摩耗していないが、この道は良く摩耗している。 |
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一段下の郭R。 |
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図を再掲する。 |
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KよりO・Pの尾根を見る。 |
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Oに降りて下からKを見上げる。 |
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OからNに繋がるスロープ。 |
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P郭に降りてみる。
上の写真の一段下。奥がO郭。段差は2.3m位。 |
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東尾根の郭。
高平城の尾根では一番大きな曲輪群を形成している。
参考までに各郭の段差を記す。Qの東が3m次が1.5m・0.5m・2mと続く。
久しぶりにここに来た。何だか妙に落ち着いてしまい、おむすびを食べたり寝転がって1時間近くも居た。 |
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郭の段差。 |
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さて、山の上でゆっくりし過ぎて日没です。Gから西に下り隣の山との間の乢Tに向かいます。
登る前、村人に地図に描かれた道のことを尋ねました。国土地理院の地図には実際に無い道が描かれていることもあるからです。 |
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道はありましたが、探してやっと見つかる程度ででした。 |
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道を下っていると尾根に乗った地点でおかしな事に気付きました。
道の横に大きな窪みがあるのです。どうも昔の道の跡です。
深さは1.5m程。深い所では背丈を超えます。今の道はこの道の土手やちょっと離れた所を通っています。長さは数十メートル位か。場所はUのピンク色の所。
いつの時代の道でしょう。ひょっとして450年前の道か。 |
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高平城を歩いて感じることは、高平城は鷹山城と比較して切岸の傾斜や高さ、縄張り等全てにおいて加工が少ない点だ。高平城は鷹山城に比べて山体が大きく、さらに山頂が峻険ではない。それなら、尚更大きな工事をして防衛力を強化すべきではないかと思うのだが、実際は大きな違いが見られる。
これは鷹山城より22年前に滅びた事が関係するのかも知れない。波多野氏の滅亡は口伝で1559年。これは信長の桶狭間戦いの前年です。また種子島に鉄砲が伝来したのは1543年で、実戦に火縄銃が使われたとされる1550年から余り時を経ていません。波多野氏は火縄銃の事を伝え聞いてはいたのでしょうが、実際見たり入手してはいなかったのではないか。
波多野氏が滅びてから時代は大きく変化し、そして時代の要求で築城技術も急激に変化したのではないでしょうか。 |
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