秀長陣から空堀 Part2 平成19年4月29日 所在地:鳥取市円護寺
主郭直下の道の跡に出ました。下の図のB点です。

これこそ426年前の道です。羽柴秀長や岡嶋正義が歩いた道。小泉友賢も歩いたのでしょうか。

陣所は天正9年以降に道を造り直すような大きな改変は受けていない。
羽柴秀長陣所の縄張り略図。

吉田浅雄氏の「秀吉鳥取城攻略の本陣及び付近遺構要図」を元に作成しました。

秀長陣所東連郭群は歩いたことがありますが、道の調査はしてません。今日歩いたところだけのいい加減な図面です。申し訳ありません。
A断面中央の道。
A地点断面図。道は兵の移動のため設置されたようだ。

竪堀大と小の間に菱垣を設置し、竪堀小に待機する兵が竪堀大の敵兵を攻撃するのでしょうか。菱垣に門でもあったのか道は突然に終わっている。
竪堀小の上部は階段状の削平地で、下部は竪堀になっていました。左は小削平地ですが、写真では判りにくいですね。
C地点。道はここで一番高くなっており、主郭との段差が少ない。主郭は柵か菱垣で囲まれていたのだろうが、この地点に門があったようだ。
D地点でC方向を見る。
E地点で主郭を見る。ここも柵か菱垣などで囲まれ行き来は出来なかっただろう。
E地点の様子。広いが削平は甘い。
F地点の小郭。
遊歩道のベンチ。

竪堀は遊歩道を境に、2本と3本で本数が異なり構造が違う。ひょっとして426年前、遊歩道ある場所に昔の道があり、それを境に工作を変えたのかも知れない。
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