秀長陣から空堀 Part3 平成19年4月29日 所在地:鳥取市円護寺
遊歩道の下の略図。同じ吉田浅雄氏の資料で作成。縮尺は前の図の2分の1。
竪堀A地点。700mの空堀はまだ3分の1程しか歩いていないが、この辺りが一番規模が大きいらしい。中央の竪堀は深さ数メートルあり巨大です。
一番下まで降りて撮影。竪堀といってもこれだけ大きいと自然の谷だと思ってしまう。
B地点の下斜面。多数の石が転がっている。斜面の傾斜は緩やかだが石垣があったのだろうか。

元はもっと多くの石があったが、からづつみ土手の造成で石や土を持ち去ったのかもしれない。
B地点の削平地。
B地点から土手に向かう道。江戸時代の道なのだろうか?
からづつみを土手から見る。水はほとんど貯まっていない。人曰く、水が貯まっていない空の堤だから「からづつみ」なのだそうだ。

この堤は江戸時代の工事なのだろうか。ミスで漏水がひどいのか。それとも他の目的で作成されたものか。空の堤なんておかしな話だ。
からづつみの土手。
増水時に土手決壊を防ぐためだろう、西側に放水路が作成されている。

堤防は上面を水が越えると、流れ落ちる水が土を運び決壊する。石で低い地点に放水路を造れば決壊は免れる。

水は貯まっていないけれど?
今日歩いたコース。

 P 経家公墓所駐車場
 A 5号歩道取り付き地点
 B 尾根緩傾斜地点
 C 秀長陣所
 D 大竪堀
 E からづつみ横の曲輪
 F からづつみ土手
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