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岩美町荒金 行者山(ぎょうじゃさん)1 平成26年10月25日 所在地:鳥取県岩美郡岩美町荒金  HPアップ 平成27年2月5日
このページで行者山の道を案内していますが、これは登ってくださいと言う意味ではありません。行者山は、かつて「国峰(こくぶ)」と呼ばれ、因幡の国における一大修験霊場で、道の悪い所もありお勧めは出来ません。

自分で行ってみたい、興味のある人だけに案内させて頂きます。山で他の人への見栄や、肝試しなんて何の意味もありません。
この山の道は、歩く人も少なく、落ち葉や砂礫もあり不安定です。雨天や雨後の登山は止めた方が良いでしょう。あくまでも自己責任でお願い致します。


行者山アクセスマップ
ネットで調べていたら、岩美町の荒金に山岳信仰の行者山という山があり、 役行者(えんのぎょうじゃ)によって修験者の道場として、神仏混合の業場が開かれたとされる。

役行者の話は全国に広く伝わっていて、本当に荒金に来たのかは私にはわかりません。

どんな山か検索するが、情報は少ない。しかし近年地元の方が、 年一回行者山に登るイベントを行われていて、それに参加してみようと考えていた。

ところが、昨年岩美町役場に問い合わせると、平成24年まで行われていた行事も、荒金地区の方が「休ませて下さい」とのことで中止。

今年も聞いたが行われないようだった。地元の方の高齢化が影響しているらしく、残念なことだ。

写真は岩美町岩常から見た行者山(555m)。行者山は大茅山(664m)の支尾根の一つです。
自分で行こうと考え、岩美町役場に登山道の場所を聞くがわからない。「道が悪いので、一人では行かないで下さい。」と言われるだけ。

今年の7月、荒金集落で聞こうと考え、訪れてみたが村内で人を見かけない。 やっと出会った人は地図が読めなくて、登山口の場所を伺うことは出来なかった。

村人に、集落西の道を入った所にあると聞き進んだが、途中の分岐を間違い、道は藪になり行き止まり。元の道に戻り、一番西側の道を歩き、やっと登山口を見つけた。

幹線道から入ると、道は舗装されているが、行き交い場所もほとんど無く、軽トラックなら離合出来ても、普通車同士は難しい。
入口から1kmの分岐。ここは右に進む。道はすぐ未舗装になる。
最初、登山口は左の山にあると考え、ここを左に進み道を誤った。
入口から1.4kmで、左にある施設へのT字分岐がある。
この辺りが一番道が広い。
1.6kmの分岐は左に真新しい建物が見える。
ここも右に進むが、これから先はさらに道が悪くなる。
この分岐に、左右どちらか1台だけ置けそうなスペース。ここに止めて歩く。
分岐から約150mで最初の鉄製の橋がある。
一つ目の橋から次の橋まで約240m。
次の橋との間は林の中で草は伸びていないが、路面は少し荒れている。
2ヵ所ある橋は鉄製のしっかりした作りで、重量のある車でも大丈夫だ。
一つ目の橋の手前と、二つ目の橋の先にはススキが生えていた。
駐車地点から約630m。林道終点に近い行者堂の標識。
地元の人の手作りのようだ

この手前に複数の車が駐車出来るスペースがある。

ここで左に降り、岩盤の上を流れるひとまたぎの川を渡り、奥に進む。
道を進むと、左側の大きな岩の上に、弁天堂と呼ばれる籠り堂が見える。
弁天堂は、堂内の棟札によれば、現存の堂宇は、明治33(1900)年に弁財天を本地仏とする龍神堂として新築されたものだそうだ。

女人禁制の時代は女性はここまでしか来られなかった。
弁天堂の先に、行者山への登山口がある。
行者山の石碑。
「右ハ 行者道」と書いてある。

私は読めなくて、ネットで他の方に助けて頂きました。


「右ハ」とあるように、左にも川伝いの道があります。

行ってみると数メートル先で崩れていますが、その先もありました。でも、さらに先で藪っぽくなったので引き返しました。
右に書いてあるのは「子 平治立」と読むらしい。
子供の平治さんが建てたということか。
行者堂まで十三丁。

十三丁の石仏は、石質が悪いのか割れている。

 登山口から直ぐ。
 ロープがあるから道だとわかるが、
 歩く人が少ないからか、獣道に毛が生えた程度。

 曲がりで道を見失うが、道は上ではなく横に続いていた。
登山口から標高20〜30m登ると、尾根に乗り道らしくなる。 ここは谷が北面しているせいか、イワカガミが標高200m以下で生えている。イワカガミをこんな低い所で見るのは初めてだ。他にも、標高300mでミヤマノキシノブが見られた。
尾根は細く、道は尾根の右に左にと続く。 途中の細尾根。左は急斜面。
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